産経WEST

【龍馬暗殺150年】誰が龍馬を殺したのか、黒幕は…歴史作家・桐野作人氏が「真相」に迫る

産経WEST 産経WEST

記事詳細

更新

【龍馬暗殺150年】
誰が龍馬を殺したのか、黒幕は…歴史作家・桐野作人氏が「真相」に迫る

近江屋での暗殺から今年で150年。謎の残る坂本龍馬暗殺をめぐり、今も数々の黒幕説がある(高知県立坂本龍馬記念館提供) 近江屋での暗殺から今年で150年。謎の残る坂本龍馬暗殺をめぐり、今も数々の黒幕説がある(高知県立坂本龍馬記念館提供)

 「龍馬は暗殺される慶応3(1867)年までの4年間で8回、上京(京都入り)しているが、元治元(1864)年6月にあった池田屋事件の直後、(龍馬の隠れ家だった)京都の下宿先が(幕府方に)踏み込まれている。龍馬はたまたま留守で難を逃れたが、潜伏先を知られていたわけで、剣術で有名な新選組は、情報収集能力もすごく、(龍馬のような脱藩浪士らは)きっちりと尾行されていた。龍馬はこの(高い情報収集力の)餌食になったと私は考えている」

 〈池田屋事件とは、8月18日の政変で京都を追われた長州藩をはじめ、土佐藩などの志士らが京都の旅館「池田屋」に集結する情報を、新選組がキャッチ。近藤勇ら隊士が踏み込み、志士9人を殺害するなどしたもの。この事件を機に長州藩は禁門の変を起こした〉

老中にまでマークされていた

 桐野氏「幕府に(危険人物として)認識されたのは、慶応元年12月。残された肥後藩士の日記によると、老中が『龍馬は何者だ』と周囲に尋ねており、幕府側からマークされたことがわかる」

 〈この老中の発言の1カ月ほど前、龍馬は長州処分の勅許(天皇の許可)に反対した薩摩藩の大久保利通の書簡の写しを、長州藩に届けており、(倒幕に動いていく)薩長斡旋を図る危険人物として幕府側は注目。老中にまで、名前を知られるようになっていた〉

 桐野氏「大久保の書簡は、長州処分の勅許を無条件に受け入れるものではない、などと、阻止しようとしたいきさつを書いたものだった。(禁門の変で薩摩藩が幕府側だったことなどから、当時、薩摩と長州との関係はかなり悪く)薩摩藩士が長州へ行けば切られる。しかし、龍馬なら長州には仲の良い木戸孝允がいる。使者として龍馬への信頼が大きかった一方、幕府側からは危険人物とみられ、新選組の監視も厳しくなった」

続きを読む

このニュースの写真

  • 誰が龍馬を殺したのか、黒幕は…歴史作家・桐野作人氏が「真相」に迫る

「産経WEST」のランキング