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【動画】大極殿院と朝堂院の境ほぼ特定「恭仁宮跡」 聖武天皇、平城宮の造り参考か

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大極殿院と朝堂院の境ほぼ特定「恭仁宮跡」 聖武天皇、平城宮の造り参考か

発掘された朝堂院の柱穴。左奥に大極殿院があったと思われる=京都府木津川市 発掘された朝堂院の柱穴。左奥に大極殿院があったと思われる=京都府木津川市

 聖武天皇が740年から約4年間、都を置いた「恭(く)仁(に)宮(きゅう)跡」(京都府木津川市)で、役人が執務や儀式を行った朝堂(ちょうどう)院の東側に立てられた塀の北端を示す柱跡が見つかり、京都府教育委員会が5日発表した。天皇が儀式を行った大極殿院の南限付近に当たる。大極殿院、朝堂院はともに東西の幅は判明していたが、それぞれの南北の長さは分かっていなかったため、担当者は「それぞれの規模をほぼ特定できる大きな成果」としている。

 恭仁宮跡はこれまでに宮全体の範囲や大極殿、内裏などの主要施設の跡が確認され、大極殿院は東西約145メートル、朝堂院が東西約115メートルであることは分かっていた。ただ朝堂院の南端、大極殿院の北端は確認されていたが、大極殿院と朝堂院の境が不明だった。

 今回の発掘で、大極殿院の東南エリアから長さ約25メートル、幅約2・5メートルの遺構を発見。南北に一列に並んだ朝堂院の東面の掘立柱塀の柱跡5カ所が、ほぼ3メートルの間隔で出土した。

 この結果、南北の長さは朝堂院が約103メートル、大極殿院は約215メートルと判明。遷都前の平城宮(奈良市)の大極殿院と同様に南北に長い形態だったとみられる。府教委は「聖武天皇が(遷都前の)平城京の造りを参考にした可能性が高まった」としている。

 現地説明会は9日午後1時半から。問い合わせは恭仁宮跡発掘調査現地事務所((電)0774・76・2313)。

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