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【虎のソナタ】「18番」といえば桑田、マー君、マエケン、阪神は…将来は「馬場」って言いたい!!

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【虎のソナタ】
「18番」といえば桑田、マー君、マエケン、阪神は…将来は「馬場」って言いたい!!

入団発表後はファンミーティング。ルーキーらはさっそくファンと記念撮影する 入団発表後はファンミーティング。ルーキーらはさっそくファンと記念撮影する

 同じ若手の竹村岳は3位の熊谷敬宥(たかひろ)内野手について「とにかくユニークでナイスガイ。彼がベンチにいると雰囲気がかわる期待がある…」という。

 金本監督は「それぞれが背番号の価値を高めてくれることだ」と、これから背負った番号は選手の流した汗に比例するという意味のことを淡々と語っていたとキャップ阿部祐亮は伝えてきた。

 1943(昭和18)年の西宮球場で10月24日、阪神-巨人戦は2-2で延長戦となった。その十一回、巨人は一死一、二塁から打点でリーグトップの青田昇の打席なのに突如、監督中島治康は「代打・沢村」を出した。後に青田昇に聞いたが「俺は代打沢村さんの打席をベンチで直立不動で見つめたんや…」といった。

 阪神の投手は、その沢村とライバルのエース番号18を背負った若林忠志。

 沢村は初球を打つ。打球は三塁手が捕るような平凡なファウル…そのタッタ1球が沢村の「最後の姿」となった。この時である。巨人も阪神もみんなキチンと立って見つめた。

 「青い空に粗末なボールが申し訳なさそうに飛んだ…」と青田はポツリといったものだ。

 その1年後の12月2日、沢村を乗せた輸送船は台湾沖で沈む。船名すら不明。そういう歴史と時間が日本のプロ野球を背負うこれからの若者たちの背中にはある…。

 金本監督の「背番号を自分のものとしてほしい」という言葉がズシリと重い…。

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