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【石野伸子の読み直し浪花女】「めし」で読み解く林芙美子(3)年1回、ぬく寿司の贅…底辺を体感「東京ほど貧やつれ無く、がんこな大阪人」活写

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【石野伸子の読み直し浪花女】
「めし」で読み解く林芙美子(3)年1回、ぬく寿司の贅…底辺を体感「東京ほど貧やつれ無く、がんこな大阪人」活写

「めし」の取材で訪れた大阪でジャンジャン横丁を歩く=昭和26(1951)年2月(新宿歴史博物館蔵) 「めし」の取材で訪れた大阪でジャンジャン横丁を歩く=昭和26(1951)年2月(新宿歴史博物館蔵)

 林芙美子と大阪はどんなかかわりがあったのだろう。

 幼いころから放浪生活を送った芙美子は、ふらりと立ち寄った町で暮らすこともあり、さまざまな土地とかかわりを持った。

 例えば「放浪記」は、18歳から22歳までのほぼ4年半の暮らしを描いているが、東京で恋人に捨てられ何人かの男と関係を持ちながら暮らしたその間、ずっと東京にいたわけではない。20歳のときには関東大震災で東京を離れた時期もあるし、「ふるさと」である尾道にも何度か帰っているし、また実父・宮田麻太郎の葬儀のため愛媛県を訪ねたりしている。

 「放浪記」には旅の途中で宿泊した大阪で、突然仕事を探し、働く姿も書かれている。

 

(1月×日)

 暗い雪空だった。朝の膳の上には白い味噌汁に高野豆腐に黒豆がならんでいる。なにもかも水っぽい舌ざわりだ。東京は悲しい思い出ばかりなり。いっそ京都か大阪で暮してみようかと思う。天保山の安宿の二階で、何時までも鳴いている猫の声を寂しく聞きながら、私はぼんやり寝そべっていた。ああこんなにも生きる事はむずかしいものなか

 大阪港近くの舟宿でこう思い立った芙美子は、大阪の職業紹介所を訪ね、天満の毛布問屋を紹介され住み込みで働くことにする。

 昼でも奥の間には、音をたててガスの燈火がついている。奥行きの深い間口の広い店は「貝殻のように」暗くて、7、8人いる店員たちはみな病的に蒼(あお)い顔をして忙しく立ち働いている。女中さんは2人。「上女中」のお糸さんは眠ったような顔をして、「関西の女は物ごしが柔かで、何を考えているのだかさっぱり判らない」などと書く。

 社会の底辺でその土地土地の風習や人物を自分の体で実感できるのが芙美子の強みだ。

 作家となってからも、芙美子は旅が多かった。取材のためでもあり、また英気を養うためでもあった。「めし」を書くため当然、大阪を訪れている。

 「大阪紀行」は「婦人公論」昭和26(1951)年7月号に発表された。奇しくも急死と重なって話題を呼んだと思える文章だが、まさか雑誌が出る頃にこの世を去っていようとは、当人も予想だにしなかっただろう。取材で訪ねた大阪を生き生きと活写した生きのいい紀行文だ。

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