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【夕焼けエッセー】うなぎ

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【夕焼けエッセー】
うなぎ

 母が他界して13年になる。がんが見つかったときはすでにステージ4。抗がん剤も効かなくなり、点滴治療をしても痛みを抑えることが難しくなっていた。

 7月のある日、母は私に「私、今日はお昼に、うなぎが食べたいわあ」と言った。私はさっそく階下の食堂でうなぎ定食を注文し、病室に持っていった。乳がんの骨転移で右手が腫れていた母は左手でスプーンをにぎり、少しずつ、少しずつ、うなぎを食べた。

 「おいしい?」「ふん。-思い出が、おいしいわあ」と言った母に、「えっ?」と私は聞いた。

 母は昭和19年、米問屋の長女として大阪船場に生まれた。翌年3月13日深夜、大阪大空襲で店も家も全焼した。祖母は背中に母を背負い、伯父(おじ)を抱え、焼け死んだ人をまたいで大阪の町を逃げ惑ったという。終戦から2年後、台湾から舞鶴港へ向かう引き揚げ船で祖父は帰還した。

 「疎開先の豊岡で終戦を迎えたんや。お母さんが小さかった頃は、バラック屋根のみすぼらしい小屋みたいな所に住んでた。あの頃は、内湯のある家が少なかったから、『銭湯しようか』っておじいちゃんが言い出して。おじいちゃんは燃料の廃材をリヤカーに積んで、かまどの番。おばあちゃんはお店の番台やろ?忙しいから、食事もバラバラやってん。ほんでも1年に何回か、団らんのときがあって。そのとき食べた、うなぎがおいしいてなあ」

 母はそこまで一気に話すと目を閉じて、口をモゴモゴさせた。そしてまぶたをあけ、「ありがとう。おいしかったわあ」と、にっこり笑った。

 それから数週間後、母は眠るように亡くなった。61歳だった。うなぎを口にするたび、にっこり笑った母の顔が浮かんでくる。

河畑 富美子(43) 主婦 大阪府岸和田市

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