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【銀幕裏の声】呉軍港空襲の生還者(下) 終わらなかった戦争、戦地の兵士を日本へ届けよ! 「この世界の片隅に」で描かれた地獄絵図とは

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【銀幕裏の声】
呉軍港空襲の生還者(下) 終わらなかった戦争、戦地の兵士を日本へ届けよ! 「この世界の片隅に」で描かれた地獄絵図とは

“島”のように擬装された空母「鳳翔」(右上)。山本さんは通信兵として乗艦していた “島”のように擬装された空母「鳳翔」(右上)。山本さんは通信兵として乗艦していた

 呉軍港空襲で日本海軍は大半の主力艦を失ったが、軽微な損傷で済んだ鳳翔には「復員輸送」という新たな任務が与えられたのだ。

 その任務とは、戦後、海外の戦地などに残された兵士や民間人を軍艦で迎えに行き、艦に乗せて日本へ連れて帰ること。

 「乗員が集められ、長男は実家へ帰ってよし、次男三男は艦に残って復員輸送の業務に就けという命令が下されたのです。私は次男だったので、そのまま乗員として残りました」

 米軍は呉軍港空襲の際、無数の機雷を呉近海に投下していた。

 「日本海軍には機雷を撤去する掃海艇もなく、呉近海は機雷だらけでした。少しでも艦が触れたら大爆発を起こし、沈没してしまう。私は戦争は生き抜いたが、今回はもうだめかなと思いました」と山本さんは打ち明ける。

南洋の島へ!

 山本さんの第1回の出航地はマーシャル諸島のジャルート環礁。南洋の激戦地の一つだ。

 元々、空母だった鳳翔は復員輸送のために艦載機の格納庫を改造し、5段ベッドが特設されていた。1人でも多くの日本人を救出するためだ。

 そこは食料のほとんどない孤島だったという。山本さんたちが約9日間かけて到着したとき、ヤシの葉さえ食べ尽くされた島で、約1500人の日本兵が生存していた。 

 「みんな顔色は土色で、腹だけがふくらんでいました。栄養失調です。日本へ帰る途中、何人もの兵士が船中で亡くなりました。船中で亡くなった遺体は水葬するのです。みんなで敬礼して…。せっかく日本へ帰ることができるのに。むごいことでした」

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