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【石野伸子の読み直し浪花女】井上靖の大阪(6)新時代の小説「闘牛」 抒情と物語性を統合…記者の早業で執筆し芥川賞

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【石野伸子の読み直し浪花女】
井上靖の大阪(6)新時代の小説「闘牛」 抒情と物語性を統合…記者の早業で執筆し芥川賞

文化勲章を胸にふみ夫人と並ぶ井上靖=昭和51(1976)年 文化勲章を胸にふみ夫人と並ぶ井上靖=昭和51(1976)年

 主人公は新興の夕刊紙に出向となった津上と、その津上と先の見えない関係を続けている戦争未亡人のさき子。津上は興行師から闘牛の話を持ちかけられ、リスクの多いイベント実現に奔走する。

 「社運」をかけた大会は悪天候に見舞われる。やっと晴れた最終日、さき子はスタンドの最上段で牛の闘いを見守る。もはや収益は見込めない津上の冷めた眼を意識しながら、さき子はリング上の勝敗に自分の運命を委ねようと決心する。

 2頭のうち、赤い牛が勝ったら男と別れよう。リングを凝視するさき子の周辺が騒然とした。勝敗がついたらしい。勝牛が興奮して竹矢来の中をぐるぐる駆け回る。しかし、さき子はどちらが勝ったのかしばらく判断できないほどの興奮に包まれていた。

 物語の最後はこう締めくくられる。

 「さき子は烈(はげ)しい眩暈を感じた。とっさに津上の肩に掴(つか)まりたい衝動に耐えながら視線をなおもリングの上に投げていた。そこには、ただ、この馬蹄(ばてい)形の巨大なスタジアム全体に漲るどうにも出来ぬ沼のような悲哀を、身をもって、撹拌(かくはん)し撹拌している、切ない代赭色(たいしゃいろ)の生き物の不思議な円運動があった」

 赤い牛が勝った。果たして、さき子は別れることができるのだろうか。読者にどうしようもない悲哀と虚無感を共有させる見事なラストだ。

 それにしても、「猟銃」にしろ、「闘牛」にしろ、戦後という時代を背景にしながら、華麗でドラマチックなしつらえで、読者をワクワクさせる。

 井上靖は当時の気分を振り返り、「なにか贅沢(ぜいたく)なものを、まったくの遊びを書きたいという気が強かった」と「わが文学の軌跡」で語っている。

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