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【維新150年 大阪の痕跡を歩く】楠公ゆかりの河内勢も合流「尊攘運動」の地で起きた「天誅組の変」…時勢には乗ったが

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【維新150年 大阪の痕跡を歩く】
楠公ゆかりの河内勢も合流「尊攘運動」の地で起きた「天誅組の変」…時勢には乗ったが

天誅組の河内グループが合流した水郡邸表門。大阪府指定の史跡でもある=大阪府富田林市(彦野公太郎撮影) 天誅組の河内グループが合流した水郡邸表門。大阪府指定の史跡でもある=大阪府富田林市(彦野公太郎撮影)

 1泊して彼らが目指したのが南河内だ。西高野街道(現在の国道310号)を南下し、まず狭山藩に出兵を要請し、拒否されるものの、ゲーベル銃15丁などの武器を調達する。続いて向かったのが錦部(にしごり)郡甲田村(現・富田林市甲田)の庄屋、水郡(にごり)善之祐の屋敷。狭い路地に囲まれながら今も古い土塀が当時の趣(おもむき)を伝えるこの水郡邸で、河内勢約20人が合流したのである。

 全国の脱藩浪士が組織した天誅組に、なぜ多くの河内勢が加わったのか-。

 江戸時代、南河内地方は綿花栽培と関連産業で多くの豪農、豪商が出た。「加えてここが楠木正成を生んだ地であること。尊皇と親政待望の土壌が子々孫々と育まれてきた」と、天誅組研究家の草村克彦さんは指摘する。彼らの中には裕福な環境下で国事に奔(はし)る者も少なくなく、吉田松陰ら全国の志士が行き交う尊攘運動の地だったという。

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