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【本能寺の変】書状原本発見で「動機」めぐり議論白熱-光秀の単独謀反否定、義昭黒幕説に疑問も

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【本能寺の変】
書状原本発見で「動機」めぐり議論白熱-光秀の単独謀反否定、義昭黒幕説に疑問も

明智光秀が天正10年6月12日に土橋重治にあてた手紙の原本と確認された「土橋重治宛光秀書状」(美濃加茂市民ミュージアム所蔵) 明智光秀が天正10年6月12日に土橋重治にあてた手紙の原本と確認された「土橋重治宛光秀書状」(美濃加茂市民ミュージアム所蔵)

 大阪城天守閣の北川央(ひろし)館長も「戦国時代に入ると、足利将軍が京都を追われることはよくあった。本能寺の変まで、義昭、信長の2つの公儀が併存していたのは確かだ」と同意する。

 これに対し、天理大の天野忠幸准教授(戦国時代史)は、「義昭は信長に追われ、毛利氏に庇護(ひご)されていたが、反信長派大名などに幕府再興を働きかけていた。光秀は義昭に仕えた時期もあり、義昭を戴(いただ)く政権をつくることに最後の希望をかけたのだろう。ただ、義昭が変の黒幕だったとまでは言えないのではないか」と疑問を投げかける。

 また本能寺の変に関する著書がある歴史学者、藤本正行氏も「義昭が光秀と連絡を取るために重治を使う必要があったことを示す書状でしかなく、光秀の孤立無援を印象づけている。『義昭黒幕説』など成り立たない」と否定する。

 背景をめぐり諸説ある本能寺の変。高知大の津野倫明教授(日本中世史)は「光秀が義昭や西国の大名と連携していたかどうかは魅力的な視点で、原本の発見により議論が白熱するのではないか」と期待をかけた。

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