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【夕焼けエッセー】川の声

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【夕焼けエッセー】
川の声

 私の住む町には、戦国時代の貿易の荷揚げ用に作られた「どい川」という大きな環濠(かんごう)跡がある。

 川といってもすぐ近くの港に通ずる運河で、海の魚が跳びはね、クラゲも漂っている。川沿いには桜やツツジが植えられ、花の季節は特に美しい。

 子供の頃、家族に昔の川の話を聞く宿題があった。

 明治生まれの祖父の川の思い出は、河口からの遠泳や潮干狩りの楽しかったこと。誰よりも遠くまで泳いだとか、自慢げにうれしそうに話してくれた。反して父親は、何も話してくれなかった。この話も、母や祖母から聞いた話だ。

 父が10代半ばの頃、一家は空襲を恐れて近郊に疎開した。ちょうどその夜、大空襲があり、町が焼き尽くされた。疎開先の高台から、夜空が真っ赤に染まっているのを見て、夜明けを待って必死の思いで自転車で家を目指した。昨日渡ったばかりの川まで来て、愕然(がくぜん)となった。

 上半身が真っ黒の死体が累々(るいるい)と浮かんでいる。炎に追われ、川に飛び込み、川の中で亡くなった人たちで、人の判別ができない状態だった。おそらくこのとき、父の記憶から川との思い出は消えたのだと思う。

 私が子供の頃は、高度経済成長期で、真っ黒な川だった。ヘドロが堆積(たいせき)し、メタンガスが湧(わ)いていた。父の話と相まって川には死のイメージしかなかった。

 今朝も犬と散歩しながら、慰霊碑の前に立ち止まり、川面を見て考える。恐ろしい経験をした少年のこと、がむしゃらに復興を目指した日本のこと、今の平和のこと。老後に向かう不安や家族のこと。

 考えているといつも、「シャンと背筋伸ばさんかい」と、どこからか父の声で聞こえてくる。

中谷 吉博(59) 会社員 堺市堺区

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