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【石野伸子の読み直し浪花女】井上靖の大阪(4)東京転勤の動機「闘牛」「猟銃」 愛着2作、戦後の食糧確保より原稿4000枚

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【石野伸子の読み直し浪花女】
井上靖の大阪(4)東京転勤の動機「闘牛」「猟銃」 愛着2作、戦後の食糧確保より原稿4000枚

「猟銃」と「闘牛」は新潮文庫に収録され、版を重ねている 「猟銃」と「闘牛」は新潮文庫に収録され、版を重ねている

 井上靖の出世作は昭和25(1950)年1月に第22回芥川賞を受賞した「闘牛」。一方、文芸誌に発表され、いわゆる文壇デビュー作となったのは「猟銃」だ。これは昭和24年10月に雑誌「文学界」に発表され、好評をえて2カ月後に同じ雑誌に掲載されたのが「闘牛」。ほぼ同時期の発表作で、いずれも芥川賞の候補作となり、「闘牛」の方が受賞作となった。

 もっとも両作とも高い評価を得ている。作家自身、第1作として取り上げるとき、「闘牛」をあげることもあるし、「猟銃」をあげることもある。

 両作はほぼ同時期に書かれた。いずれも戦争直後、まだ毎日新聞大阪本社にいたころだ。

 最初に取りかかったのは「猟銃」。昭和21年ごろ構想を得た。「闘牛」の方は翌22年1月、毎日新聞系列の新夕刊「新大阪」が発刊1周年を記念して行った記念イベント「闘牛大会」を見て書き始めたもので、いずれも何度か手を入れた後、雑誌の応募小説に出されている。

 まず、22年に「闘牛」の方を、雑誌「人間」の新人小説募集に出した。「井上承也」のペンネームで出されているがこえは選外佳作になった。リベンジとして翌23年、同じ「人間」の小説募集に出したのが「猟銃」。こちらの方は落選となった。

 井上靖はこの2作に強い愛着をもっていた。これをどうしても活字にして世に出したいという思いにかられて新聞社に東京転勤を申し出たという。井上は当時、大阪の学芸部次長という肩書で、1年待てば東京でそれなりのポストが用意できると言われたが、その1年が待てない気持ちで、23年暮れに上京にいたる。

 終戦からこの23年いっぱいまでの3年半、井上はそれまでの空白が嘘のように、創作意欲にかられ、小説への思いを強めていた。暇さえあれば、というより暇を作っては書くことに集中した。

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