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【戦後72年】記録上「空襲の死傷者なし」なのに…0人でなかった 大阪・阪南、目撃者が自ら調査

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【戦後72年】
記録上「空襲の死傷者なし」なのに…0人でなかった 大阪・阪南、目撃者が自ら調査

自宅で空襲記録などの資料を広げる辻本久さん=大阪府阪南市 自宅で空襲記録などの資料を広げる辻本久さん=大阪府阪南市

 第二次大戦中、空襲の死傷者数が0人とされてきた大阪府阪南市で、小型機の機銃掃射で犠牲者が出ていたことが、目撃した男性への取材で分かった。戦後70年以上を経て新事実が明らかになったことに、専門家は「国による空襲の実態調査が進まず、見落とされてきた被害の一例だ」と指摘する。

 男性は阪南市鳥取の元船員、辻本久さん(82)。終戦前の昭和20年夏、海岸近くの自宅から、米軍のものとみられる銀色の小型機2、3機が低空で飛来し、沖合約100メートルにいた船を襲撃するのを見た。その後、修理のため沖に停泊していた木造船の船長の遺体が近所の造船所に運ばれるのを目撃。タコ釣りをしていた小舟の漁師1人が亡くなったことも聞いた。

 戦時中に大阪府警察局が作成した資料によると、現在の阪南市に該当する地域で空襲による死傷者は0人で建物の損壊もなかった。58年に発行された阪南町(現阪南市)史では「空襲の対象にはほとんどならなかった」とされており、阪南市も「被害を示す資料や統計はない」としている。

 辻本さんは今年3月、地域の歴史研究を続ける元高校教諭、横山篤夫さん(76)=堺市=に体験談を話した。「阪南市の空襲は初めて聞いた。記録上は被害がないことになっている」と言われて驚き、調べ始めた。

 死亡した小舟の漁師の名前を地元の友人の協力で明らかにし、寺の過去帳で命日を調べ、襲撃が昭和20年8月8日とみられることが判明。同じ日に、近隣の大阪府泉佐野市にあった佐野飛行場などが小型機から空襲を受けた記録もあった。辻本さんは「目標地点への行き帰りに自宅付近が攻撃されたのでは」と推測する。

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