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【田辺三菱製薬の祖「天命」田邊屋五兵衞(16)】大阪初の牧牛事業 乳製品の普及に挑戦

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【田辺三菱製薬の祖「天命」田邊屋五兵衞(16)】
大阪初の牧牛事業 乳製品の普及に挑戦

高層ビルの並ぶ辺りに当初、牧牛事業に使われた「本庄工場」があった。淀川対岸から撮影 高層ビルの並ぶ辺りに当初、牧牛事業に使われた「本庄工場」があった。淀川対岸から撮影

▼(15)高いデザイン性、ブランド戦略でロングセラーに…から続く

 先進的であるということは、チャレンジ精神が旺盛であるということと、同義かもしれない。

 洋薬への進出、製薬工場の開設など、十二代田邊(たなべ)五兵衞の先進性は経営者として際立つが、ほかにもユニークな挑戦は多かった。その一つが、現在の大阪市北区での牧牛事業だ。日本での牛乳生産は幕末にすでに横浜で始まっていたようだが、五兵衞は牛を育て粉末ミルクやバターを作り、おそらく大阪では初とみられる一般向けの宅配牛乳事業を手がけていた…というのだから驚く。

 明治15(1882)年、サリチル酸の商談中のことだった。五兵衞は、神戸のアーレンス商会から「牧牛事業」の経営を勧められて、健康食品としての牛乳や乳製品に興味を持つ。栄養価が高く、比較的安価な保健栄養剤として、日本人には乳製品の普及が必要だ…というのである。

 医薬品の知識があり、外国人と接する機会も多かった五兵衞には、その提案はもっともなことだと思われた。また、商いとして挑戦する価値もあると思ったのだろう。早速、次弟の善三郎に調べさせ、明治16年、購入していた北区南同心町(現在の帝国ホテル大阪の辺り)の土地の半分(約800坪)を充てて、試験的に牧牛を始める。

 記録によると、同心町では牛舎3棟を建て、牛50~60頭を飼育した。広さや管理の上から放牧は難しかったが、ここで手応えを得た五兵衞は明治20年、道修町(どしょうまち)の有志に働きかけて資本金2万円を集め「日本牧牛会社」を設立する。土地は同じく北区の本庄川崎町に約3000坪の用地を購入した。当時ここは淀川沿いの草原で、ある程度の放牧も可能だったという。

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