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【維新150年 大阪の痕跡を歩く】兵力優勢なのに“敵前逃亡”…最後の将軍に捨てられた「大坂城」で起きた“悲劇”

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【維新150年 大阪の痕跡を歩く】
兵力優勢なのに“敵前逃亡”…最後の将軍に捨てられた「大坂城」で起きた“悲劇”

西から望む大阪城の南外堀。幕末の混乱で多くの櫓(やぐら)が焼け、裸の石垣にその痕跡が残る(宮沢宗士郎撮影) 西から望む大阪城の南外堀。幕末の混乱で多くの櫓(やぐら)が焼け、裸の石垣にその痕跡が残る(宮沢宗士郎撮影)

 総大将のまさかの敵前逃亡に、翌朝、城内は騒然となる。指揮系統を失った将兵は、一部は残った艦船で江戸に向かい、一部は陸路を落ちのびていった。

 悲劇はこの後起きた。新政府軍と旧幕府軍目付と城の明け渡し交渉を始めた9日朝、もぬけの殻とみられた本丸から突然、火の手があがり、潜んでいた一部の将兵が次々と自刃していった。その数、十数人とも数十人とも。城を枕に一大決戦と決め込んだ彼らにとって、慶喜の「裏切り」へのせめてもの抗議だったとも受け取れる。

 「ただし、城に火をつけたのは彼らではない」

 こう語るのは大阪城天守閣の宮本裕次研究副主幹。「混乱に乗じて多くの群衆が城内に入り、本丸、二の丸で略奪がはじまったことが当時の史料からうかがえる。火の手が数カ所から上がったことからも、略奪騒ぎのなかでの失火の可能性が高い」。まさに無法状態。大坂城は戦うことなしに灰燼(かいじん)に帰したのである。

 慶喜はなぜ逃げたのか。

 慶喜は才気があって智謀に優れ、雄弁家だった。時勢に鋭く、先を読む政治家だったとも伝わる。果たして江戸で再起を図ろうとしたのか。それとも徹底恭順の意思表示だったのか。行動には謎が多く、あるいは、内戦を避けるための自己犠牲、あるいは逆賊の汚名から逃れるための猿芝居-などと諸説尽きない。

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