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【薬種商「天命」田邊屋五兵衞(5)】禁裏御用勤め 300年企業の礎築く

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【薬種商「天命」田邊屋五兵衞(5)】
禁裏御用勤め 300年企業の礎築く

初代田邊屋五兵衞が元禄年間に使用を許された称号の看板 初代田邊屋五兵衞が元禄年間に使用を許された称号の看板

▼(4)鎖国、貿易から漢方薬にシフト…から続く

 初代田邊(たなべ)屋五兵衞が発売した振出薬(ふりだしぐすり)「たなべや薬」とはどんな薬だったのか。江戸中期の大坂の医師・三宅意安(いあん)が書いた医学書「延寿和方彙函(いかん)」に、詳しい記載があった。

 効能は「打撲による損傷・疼痛(とうつう)(ずきずき痛むこと)・内出血、あるいは産後の貧血など肥立ちのよくないものを治す」。処方は「人参(にんじん)、肉桂(にっけい)、丁字(ちょうじ)、当帰(とうき)、桂枝(けいし)など10種を各等量、甘草(かんぞう)半量の11種を粗い粉末にして袋に入れ、熱湯で振り出して用いる」とある。振り出すので「振出薬」、つまり湯にエキスを抽出して飲んだ。

 女性の出産リスクが高かった江戸時代、「たなべや薬」の売れ行きは良く、商売は順調だったようだ。創業から10年あまりを経た元禄年間(1688~1704年)には、今でいう宮内庁御用達(ごようたし)、禁裏御用を勤めるまでに成長する。

 その栄えある「勅許(ちょっきょ)看板」が今も田辺三菱製薬の史料館に残されている。菊と桐の紋章のもと「御振薬調合所」とあり、脇には「黒川大和大掾(じょう)藤原金永」という称号が見える。掾とは律令制の官位で、中世以降は、町人や職人にも与えられた。例えば、禁裏御用の菓子屋で知られる虎屋は「虎屋近江大掾」という具合。黒川は初代五兵衞に賜(たまわ)った名字であり、以来、他の田邊屋と区別して「黒川田邊屋」と呼ばれた。

 創業者で家業を発展させた初代五兵衞は享保2(1717)年、数え72歳で隠居。長女・せきの婿養子に手代の伊兵衞を迎え、二代五兵衞とした。その後は良念と称し、妻の亡後は出家して念仏ざんまいの生活を送ったという。享保7(1722)年、77歳で没。上本町の菩提(ぼだい)寺・大福寺に葬られた。

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