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【薬種商「天命」田邊屋五兵衞(4)】分家の一つとして創業 鎖国で衰退、薬に活路

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【薬種商「天命」田邊屋五兵衞(4)】
分家の一つとして創業 鎖国で衰退、薬に活路

「たなべや薬」と書かれた創業以来の軒下看板と田邊五兵衞の提灯=大阪市中央区の田辺三菱製薬史料館 「たなべや薬」と書かれた創業以来の軒下看板と田邊五兵衞の提灯=大阪市中央区の田辺三菱製薬史料館

▼(3)大将を助けた大坂商人の気概…から続く

 初代田邊(たなべ)屋五兵衞(1646~1722年)が創業したのは延宝6(1678)年のこと。江戸幕府は4代徳川家綱の治世で、その後約200年に及ぶ太平の江戸時代が始まっていた。

 祖父・又左衞門は朱印船貿易で財を成したが、孫の五兵衞のころにはすでに鎖国に入り、海外渡航はおろか個人が自由な貿易を行うことも許されなくなっていた。貿易を生業(なりわい)とした田邊一族も岐路に立たされる。

 家業が衰退する中で、活路を見いだしたのが薬の商いだ。又左衞門が薬材も扱っていたことで、薬種商が集まる「道修町(どしょうまち)」と取引関係があったことも幸いしただろう。

 その中で、五兵衞の兄2人は初代田邊屋清兵衞、初代田邊屋利兵衞として寛文年間(1661~73年)に土佐堀から道修町へと進出、薬種商を始めた。

 当然、五兵衞も機会をうかがっただろうが、資金を要する薬種の取引は断念したようだ。歳も若かったのだろう、兄たちより10年ほど遅れて、土佐堀に居を構える。道修町から原料(薬種)を仕入れ、家伝の合薬を調合・販売することで勝負に出たのだった。時に32歳。分家の一つとしての独立だった。

 当時の家業をほうふつさせる創業以来の看板が、田辺三菱製薬(大阪市中央区道修町)の本社2階にある史料館に残されている。

 中央には「根元 本家 たなべや薬」、その右には「第一さんぜんさんご打身によし」といううたい文句が記され、左には「調合所 田邊屋五兵衞製」とある。

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