産経WEST

【薬種商「天命」田邊屋五兵衞(2)】祖先は朱印船貿易商 医薬品輸入の先駆け

産経WEST 産経WEST

記事詳細

更新

【薬種商「天命」田邊屋五兵衞(2)】
祖先は朱印船貿易商 医薬品輸入の先駆け

初代が土佐堀で開業していた頃の「大坂大繪圖」。田邊屋橋」が描かれている=元禄9(1696)年、国立国会図書館ウェブサイトから 初代が土佐堀で開業していた頃の「大坂大繪圖」。田邊屋橋」が描かれている=元禄9(1696)年、国立国会図書館ウェブサイトから

▼(1)「時代は洋薬や!」と即決…から続く

 大坂はかつて「水の都」と呼ばれ、江戸の町、京都の寺と並んで「浪華(なにわ)の八百八橋」というほど橋が多かった。それも幕府ではなく、町人が私財を投じて、生活や商売のために架けたことはよく知られている。

 その中の一つ、土佐堀川に架かり、大阪市の西区土佐堀と北区中之島を結ぶ橋は現在、豪商・淀屋常安(よどや・じょうあん)にちなみ「常安橋」と呼ばれているが、それ以前は「田邊(たなべ)屋橋」と呼ばれていたのはご存じだろうか。その名は古くは承応2(1653)年の市街図に記載され、後の宝暦6(1756)年には「正式名称を常安橋、俗称を田邊屋橋とする」とある。由来は朱印船貿易で活躍した豪商・田邊屋又左衞門で、橋の南詰めにその屋敷があったからだ。又左衞門は田邊屋の祖、初代五兵衞の祖父とみられ、財力が豊かだった寛永年間(1624~44年)ごろに橋は架けられたようだ。

 又左衞門は堺の豪商だった。記録によれば慶長9(1604)年と同10年の2回ルソンに、同13年にはシャム(現在のタイ)へ渡航している。いわゆる朱印船貿易で、姻戚関係にあった大坂・平野の旧家には、慶長13(1608)年、当時の将軍徳川家康の印が押された朱印状が残る。貿易品はというと、銀や硫黄などを輸出し、生糸や絹織物、東南アジアからの薬品原料などを輸入した。希少な輸入品は莫大(ばくだい)な利益をもたらし、後の田邊屋、さらに現在の田辺三菱製薬につながると考えると、又左衞門は同社における医薬品輸入の先駆けであったといえるだろう。その商いはやがて道修町(どしょうまち)の唐薬市場と深い取引関係を築いていく。

続きを読む

「産経WEST」のランキング