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【田淵幸一物語・第4部(19)】忘れなかった「熊の子」での約束

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【田淵幸一物語・第4部(19)】
忘れなかった「熊の子」での約束

平成13年12月のチャリティーゴルフでふざけあう星野(左)と田淵 平成13年12月のチャリティーゴルフでふざけあう星野(左)と田淵

 星野に阪神の監督の座を奪われても「悔しくない」といい、星野体制のコーチになることが「夢だった」という。

 《そんなん、男やないで》筆者の体から力がスーッと抜けていった。

 田淵が星野からコーチの要請を受けたのは、野村監督が辞任を表明した3日後の平成13年12月9日のことだった。

 その日、愛知県豊田市の南山CCで行われた星野主催のチャリティーゴルフ「星野仙一と愉快な仲間たち」に田淵は参加していた。星野と同組。まもなくスタート時間というとき、「ブチ、行くぞ」と星野から声がかかった。「おっ、行こう」と田淵が答えると-

 星野「ゴルフじゃねぇよ」

 田淵「えっ、阪神か?」

 星野「そうだ」

 田淵「わかった。ついていく」

 たったこれだけ。「コーチになってくれ」の言葉もなければ、金銭的な話もなし。それでも2人の気持ちは通じ合っていた。

 「そういうもんなんだよ。オレと仙ちゃんとはね。ついて行くと決めたら、後は任せておけばいい。こまごました話なんか、オレたちには必要ないんだ」

 コーチとして星野を支えること。その「夢」は法大時代から持ち続けていたという。

 大学時代、2人はライバルだった。法大の主砲と明大のエース。だが、グラウンドを離れると2人の関係は変わった。

 当時、東京・新宿のゴールデン街に「熊の子」という北海道料理の店があり、その2階には六大学野球の選手たちが多く集まった。試合が終わると星野が「熊の子に集合や!」と声を掛ける。田淵、山本、富田の“法政三羽ガラス”や1年後輩の江本らプロを目指す猛者たちが集まった。

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