産経WEST

【田淵幸一物語・第4部(8)】田淵を変えた「優勝」への渇望

産経WEST 産経WEST

記事詳細

更新

【田淵幸一物語・第4部(8)】
田淵を変えた「優勝」への渇望

昭和57年10月14日、日本ハムとのプレーオフを制した西武がリーグ優勝。田淵(中央)は歓喜の輪に飛びついた 昭和57年10月14日、日本ハムとのプレーオフを制した西武がリーグ優勝。田淵(中央)は歓喜の輪に飛びついた

前のニュース

 広岡監督を胴上げして、最後に落とそう-田淵の魅力ある提案に、西武の選手たちは乗った。といっても、東尾だけは必死に抵抗した。

 「あいつはストレートな男だから、オレのようにすぐに気持ちを変えられない。でもそこが、いいところなんだよ」 

 田淵のことを親しみを込めて「おっさん」と呼ぶ4歳年下の“同期生”は、自らのやり方で広岡流の「管理野球」に立ち向かった。

 キャンプ中の飲酒が「練習休みの前日の食事時を除いて原則禁止」となると、缶ビールを大量に買い込み、昼食時にヤカンに入れ、湯飲み茶椀でまるでお茶を飲んでいるかのように装って飲んだ。

 気が抜け、生ぬるいビールが美味(うま)かろうはずがない。だが東尾は「飲み続けることに意義があるんだ。おっさんも飲んでくれよ」とヤカンビールを田淵にも注いだという。

 なぜ、田淵は「管理野球」を受け入れることができたのだろう。後年、広岡は「当時、西武はベテラン選手が多く、自然食中心の生活を強いることで、故障の少ない体質に改善する必要があった。田淵は素直で驚くほど積極的に体質改善に取り組んでくれた。彼が率先してやってくれたことで大いに助かった」と回想している。

 「優勝したかったんだよ」と田淵はいう。

 広岡を監督に迎えた昭和57年時点で、仲間内で「優勝」の経験がないのは田淵だけだった。“法政三羽ガラス”の一人、広島の山本は古葉監督の元で50、54、55年と3度の優勝を経験。南海に入団した富田勝も48年、巨人に移籍し川上巨人「V9」の一員となった。そして僚友・江夏も54、55年に広島で美酒を味わっていた。

続きを読む

田淵幸一物語のニュース

このニュースの写真

  • 【田淵幸一物語(1)】「田淵はミスターTではない」と断言した村山監督
  • 【田淵幸一物語(1)】「田淵はミスターTではない」と断言した村山監督
  • 【田淵幸一物語(1)】「田淵はミスターTではない」と断言した村山監督
  • 【田淵幸一物語(1)】「田淵はミスターTではない」と断言した村山監督

「産経WEST」のランキング