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【田淵幸一物語・第4部(7)】広岡監督の術中にはまった

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【田淵幸一物語・第4部(7)】
広岡監督の術中にはまった

ホームランを放ちベンチの広岡監督に出迎えられた田淵 ホームランを放ちベンチの広岡監督に出迎えられた田淵

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 昭和56年、西武は前期2位、後期5位(通算4位)に終わり根本陸夫監督が退陣した。といっても、また「一から出直す」のではない。根本は兼務していた管理部長(実質的なゼネラルマネジャー〈GM〉)専任となり、チーム作りに邁進(まいしん)する。

根本マジックで入団した伊東、石毛、秋山

 その手腕は「根本マジック」といわれた。兼任だった55年のドラフトで1位・石毛宏典内野手(プリンスホテル)2位・岡村隆則外野手(河合楽器)3位・杉本正投手(大昭和製紙)を指名。ドラフト外で熊本・八代高の秋山幸二内野手を巨人、阪急、広島との争奪戦の末に獲得した。

 さらに56年ドラフトでは、熊本工高の定時制に通っていた伊東勤捕手を埼玉・所沢高に転校させ、西武の「練習生」としたうえで1位指名-という離れ業までやってのけた。社会人熊谷組への入社が内定していた名古屋電気高の工藤公康投手も強引に6位で指名し説得の末、入団にこぎつけた。

 常勝球団へ着々と土台を固めていく。そのチームの「勝つための監督」として選ばれたのが、根本が広島の監督時代に「後継者」として育てた広岡達朗だった。

 「オレの野球人生もこれで終わった-と観念したよ。肉はだめ。野菜を食べろ。米を食べるな。そんな広岡野球についていけるわけがない」

 田淵が落胆したのも無理はなかった。当時、すでに広岡流の「管理野球」はヤクルトの監督として53年、日本一になったことで確立されていた。禁酒、禁煙、禁マージャン。「プロにとってグラウンドがすべて。いいかげんな体調でグラウンドに出てくることは許されない」と選手の食生活まで管理。肉の摂取量を抑え、玄米食や自然食品の摂取を強要した。

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