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【田淵幸一物語・第4部(5)】田淵が飛び込んだ「西武」の世界

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【田淵幸一物語・第4部(5)】
田淵が飛び込んだ「西武」の世界

堤義明オーナーは「野球人たる前に社会人たれ」と選手に訓示していた 堤義明オーナーは「野球人たる前に社会人たれ」と選手に訓示していた

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 余談が長くなった。時間をもう一度昭和53年に巻き戻そう。

 「深夜のトレード通告」から20日後の12月5日、西武への移籍が決まった田淵と古沢は根本監督に伴われ、東京・神宮前の国土計画本社へ、西武グループの総帥・堤義明オーナーへの挨拶に赴いた。なんと、その席に「江川騒動」で忙しいはずの阪神の小津球団社長までついてきた。

 「選手はわが子のようなもの。ましてや田淵も古沢も長い間、阪神のために貢献してくれたのだから、親として当然のことをしたまでだ」

 《放出しといて、よう言うわ》記者たちの冷笑も小津社長には馬耳東風である。

 堤オーナーとの会談は15分程度で終わった。

 「田淵君、ホームランを打ったら、ゆっくりと走ってくれないか」

 「えっ」。田淵が首をかしげると、「君がゆっくりとベースを回っている間に景気よく花火を打ち上げようと思っているんだ」。

 これが新しい球団「西武ライオンズ」の発想。田淵は衝撃を受けたという。それだけではなかった。『第一級のスポーツマンには高い品位がなくてはならない。野球人たる前に社会人たれ』という堤オーナーの大号令の下、選手全員の「意識改革」が行われた。

 まず、全員に名刺が配られた。初めて会う人には必ず名刺を差し出して挨拶しろという。もちろん、その際のお辞儀の仕方、頭を下げる角度、髪の長さ、爪を不潔にしていないかまで指導された。色の違う幾つものブレザーとスラックスも支給され、遠征の際の移動には全員「制服」着用が義務づけられた。

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