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【田淵幸一物語・第3部(4)】「サンケイ」が消えた日

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【田淵幸一物語・第3部(4)】
「サンケイ」が消えた日

オープン戦のときには別所毅彦監督の胸にも「Sankei」の文字が オープン戦のときには別所毅彦監督の胸にも「Sankei」の文字が

 米三は京阪神急行電鉄(阪急)や宝塚歌劇団、阪急百貨店などの創設者、小林一三の三男として明治42年8月に大阪で生まれた。

 阪急ブレーブスは昭和42年に32年ぶりに優勝し、翌43年もパ・リーグを連覇した。かつては「灰色のチーム」と言われた球団に闘将・西本幸雄を迎え、44年にはリーグNO1のチームになっていた。

 とはいえ、人気はいまひとつ。毎年1億5千万円の赤字を作り、当時70社以上あった系列会社のなかで一番の「お荷物」だった。幹部からは幾度となく「球団経営から手を引いては」と進言されたが、米三はニッコリ笑ってこう答えたという。

 「阪急電車には数え切れないほどの子供(系列会社)がおます。そやけど、親の情として出来の悪い子供ほどよけいに可愛いもんですわ。お金のかかる道楽息子ですけど、そのうち親をビックリさせることをやってくれますやろ」。ブレーブスは米三の深い愛情に支えられていたのである。(敬称略)

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