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【歴史インサイド】聖武天皇「幻の都」恭仁京の全貌は? 条坊の可能性秘める道路跡出土、京域解明につながるか

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【歴史インサイド】
聖武天皇「幻の都」恭仁京の全貌は? 条坊の可能性秘める道路跡出土、京域解明につながるか

岡田国遺跡で見つかった南北、東西に延びる道路跡の直交部分。「幻の都」とされる恭仁京のエリアの解明につながるのか=京都府木津川市 岡田国遺跡で見つかった南北、東西に延びる道路跡の直交部分。「幻の都」とされる恭仁京のエリアの解明につながるのか=京都府木津川市

 さらに、「わずか3年ほどの恭仁京は、要所要所は施工したが全体はまだできあがっていなかったという状況も、この調査結果からうかがえるのではないか」と指摘。今後も岡田国遺跡の発掘調査は続くが、恭仁京がどこまで“開発”されていたかも注目されるポイントだとしている。

 【用語解説】恭仁京

 天平12(740)年、平城京から伊勢に行幸(ぎょうこう)した聖武天皇は平城京に戻らず、この年の12月に恭仁京に遷都した。左京域に推定される現在の木津川市加茂町に大極殿などが置かれた「恭仁宮」があり、宮域は平城宮の約3分の1の広さ。想定される「京域」には東西に木津川が流れる。

 恭仁京への遷都をめぐっては、当時この地周辺に勢力を誇った政権の中枢人物・橘諸兄(たちばなのもろえ)の主導や、都城に川が流れる唐の洛陽を理想とし模した-など諸説がある。大極殿は後に山城国分寺の金堂に使われた。現在、平城宮跡に復元された第一次大極殿は、恭仁宮の大極殿跡の調査結果などを参考に柱の位置を推定して〝当時の姿〟を再現している。

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