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【歴史インサイド】聖武天皇「幻の都」恭仁京の全貌は? 条坊の可能性秘める道路跡出土、京域解明につながるか

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【歴史インサイド】
聖武天皇「幻の都」恭仁京の全貌は? 条坊の可能性秘める道路跡出土、京域解明につながるか

岡田国遺跡で見つかった南北、東西に延びる道路跡の直交部分。「幻の都」とされる恭仁京のエリアの解明につながるのか=京都府木津川市 岡田国遺跡で見つかった南北、東西に延びる道路跡の直交部分。「幻の都」とされる恭仁京のエリアの解明につながるのか=京都府木津川市

 奈良時代に平城京(奈良市)から遷都されながら、わずか3年余りの都にとどまり、「幻の都」ともいわれる「恭仁京(くにきょう)」(京都府木津川市)。その都の中枢である「恭仁宮(くにきゅう)」から南西約5キロにある「岡田国(おかだくに)遺跡」(同市)から、奈良時代中ごろの道路跡が見つかった。東西、南北に延びるそれぞれ道幅約7メートルの道路2本が、L字形に直交した状態で検出。L字の内側からは建物跡も見つかった。藤原京や平城京などの「都城」でみられる「条坊」(区画)の可能性がある発見で、いまだ明らかになっていない恭仁京のエリア(京域)の解明の手がかりとなる貴重な資料として注目される。(中村宏二)

「短命の都」

 恭仁京は聖武天皇が天平12(740)年に平城京から遷都した。しかし、4年後の天平16(744)年には、都は難波宮(大阪市)に移り、そして再び平城京に戻ることになる。恭仁京が存在したのは3年余りという「短命の都」だった。

 とはいえ、その存続期には、国分寺・国分尼寺の建立や墾田永年私財法など、歴史に大きな影響を及ぼす施策が生まれている。

 恭仁京の中枢施設があった恭仁宮の発掘調査は、昭和48年度から京都府教委などが実施。歴史書「続日本紀(しょくにほんぎ)」にみられる「大極殿(だいごくでん)や回廊は平城京から恭仁京に移された」とする記述の裏付けや、朝集院(ちょうしゅういん)の範囲など、その姿は年々明らかになってきているが、全容解明には至っていない。

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