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【田淵幸一物語・第2部(11)】背番号「22番」は2年前のドラ1から略奪

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【田淵幸一物語・第2部(11)】
背番号「22番」は2年前のドラ1から略奪

バットとボールに「22」と書き込み笑顔の田淵 バットとボールに「22」と書き込み笑顔の田淵

 当時も今もほとんどの選手たちが、事前に球団が番号を調整し、新入団選手のために用意した背番号を付けるという。もちろん、空き番号を幾つか提示され、その中から好きな番号を選ぶ場合もある。例えば昭和41年のドラフト1位で入団した江夏豊は球団から「1」「13」「28」を提示された。

 「1」は高校時代からライバルといわれた1歳年上の鈴木啓示が近鉄でつけているのでイヤ。「13」は縁起が悪そう。残った「28」を選んだ。そして初めて東京六大学から入団した安藤統男(慶応大)の「9」も早稲田大の主将を務めた中村勝広の「14」、岡田彰布の「16」も球団が用意した背番号だった。

洗濯かごのテープで背番号31を知った掛布

 入団テストを受けたうえで6位指名された掛布雅之(習志野高)の場合は、入団してもしばらく背番号を知らされなかったという。

 「寮に入って、個人の洗濯かごに紙がセロテープで貼ってあった。見たら『掛布31』とマジックで書いてあった。あぁ、オレの背番号31なんだ…と、そのとき初めて知ったよ」

 田淵の背番号「22」には、本人の思い以上に「彼は特別」という球団の熱い思いが込められていたのである。

 1月12日、田淵は午後1時10分着の新幹線で、母親・花江さんと一緒に大阪入り。梅田の阪神百貨店でタンスや布団などの生活用品を購入した。この時、トラ番記者たちが一番驚いたのは、田淵が花江さんから「ボクちゃん」と呼ばれていることだったという。(田所龍一)(敬称略)

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