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【田淵幸一物語・第2部(11)】背番号「22番」は2年前のドラ1から略奪

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【田淵幸一物語・第2部(11)】
背番号「22番」は2年前のドラ1から略奪

バットとボールに「22」と書き込み笑顔の田淵 バットとボールに「22」と書き込み笑顔の田淵

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 田淵幸一の背番号「22」が決まったのは、年が明けた昭和44年1月9日のことだった。

 東京・目白の自宅で決定を聞かされた田淵はトラ番記者たちの注文に嬉しそうに応え、バットとボールに「22」を書き込んでハイ、ポーズ!

 「いままでは西村選手が付けていたんでしょ。ちょっと申し訳ないけど、ボクは22が付けたかった。年齢が22歳だし、大学の記録が22。だから凄く縁起がいいんです」

自分の希望を言ったのは田淵だけ

 田淵の法大時代の背番号は1年生から3年生までが「22」。4年生では主将番号の「10」。とはいえ阪神で「10」を付けるのは無理(藤村富美男の永久欠番)だった。

 阪神で「22」は昭和25年から2年間、後藤次男が、その後を田宮謙次郎が6年間。さらに室山皓之助、谷本稔ら強者がつけた。田淵の前に付けていたのは昭和41年の第2次ドラフトで1位指名された大型内野手・西村公一(甲府工高)。けっして簡単に“剥奪”出来る番号ではなかった。

 ちなみに、「22」から「8」に変更された西村は、48年のオフに引退しプロゴルファーに転身した。

 「田淵さんぐらいじゃないかなぁ。自分の希望の番号を言って入団したのは」というのが多くの阪神OBたちのご意見だった。

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