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【田淵幸一物語・第2部(4)】11月12日、運命の日

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【田淵幸一物語・第2部(4)】
11月12日、運命の日

阪神の「田淵1位指名」に各球団も呆然 阪神の「田淵1位指名」に各球団も呆然

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 やはり緊張していたのだろう。いつもなら午前10時近くまで寝ている田淵だが、「運命の日」11月12日は7時に起床。白のハイネックに水色のセーターで報道陣の前に姿をみせた。

 10時過ぎ、東京・日比谷の日生会館7階の国際ホールで「第4回ドラフト会議」は始まった。当時、ドラフト会議はめまぐるしくルールが変わっていた。

 昭和40年の第1回ドラフトでは事前に各球団が獲得を希望する選手に順位を付けた名簿を提出。1位が競合した場合のみ抽選。外れた球団は名簿2位の選手を獲得することができた。1位指名重複のみ抽選は現在の制度とよく似ている。

 阪神は1位で香川県立土庄高の石床幹雄投手を指名。2位で市立和歌山商高の藤田平内野手を指名した。翌41年の第2回は9月と11月に2回に分けて行われ、9月の1次会議で大阪学院大高の江夏豊投手を阪神、巨人、東映、阪急4球団競合の抽選でかちとった。第3回では9位で福井県立若狭高から川藤幸三外野手が入団した。

 そして第4回は初めて報道陣公開で行われ、ルールも変更された。まず12球団の指名順位を決める「予備抽選」から始まった。その年の日本シリーズで敗れたパ・リーグの最下位球団(東映)から次にセ・リーグの中日と交互に引き、本抽選のクジを引く順位を決める。そしていよいよ「本抽選」。1番クジが当たると1番目で欲しい選手を指名することができた。

 現在のようにテレビ中継もない時代。情報は現場から田淵宅にかかってくる記者からの電話連絡だけ。「巨人は何番目なのか…」。もどかしい空気が記者会見場になっていた田淵家の応接間を包んだ。

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