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【田淵幸一物語・第2部(3)】川上監督の殺し文句「ONはさんだ背番号1、2、3が来季の売りだ」

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【田淵幸一物語・第2部(3)】
川上監督の殺し文句「ONはさんだ背番号1、2、3が来季の売りだ」

この真ん中に君が立つんだ。左から長嶋、川上監督、王 この真ん中に君が立つんだ。左から長嶋、川上監督、王

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 ドラフト前日になっての田淵家の「巨人以外拒否」宣言。いったいその裏で何があったのか。

 11月のある日、田淵は父親・綾男と共に東京・赤坂のとある料亭に出向いた。そこで待っていたのは“打撃の神様”川上哲治だった。もちろん、その時はすでに巨人の監督として昭和40年から始まった連続優勝を「V4」に伸ばしている名監督。話は予想通り「巨人に来てほしい」というもの。だが“殺し文句”が憎かった。

 「田淵君には背番号2を用意している」

 《捕手だから「2」。なんの変哲もない誘い文句だが…》

 「君には巨人軍の四番を打ってもらう。三番が王、五番が長嶋。背番号が1、2、3と並ぶ。それが来季の巨人の売りだ」

 今でこそ、パチンコ屋さんや引っ越し屋さんを連想する並びだが、当時の田淵は後楽園球場のスコアボートに並ぶ王、田淵、長嶋の名前を想像し「体が震えた」という。

 1球団でも指名しそうな球団を減らすために、巨人以外の指名なら入団拒否。社会人野球へ進む-と宣言したのである。なんとも念には念を入れた巨人の作戦だ。

 余談になるがこの頃の巨人は川上をよく入団交渉の「使者」に使った。まだドラフト制度のなかった昭和36年オフ、慶応大4年だった安藤統男も“神様からの誘い”を受けた一人だった。

 当時、慶応大野球部には太い「巨人ルート」があり「安藤も巨人入り」と噂されていた。そんなある日、茨城県土浦市の実家に川上がやって来た。36年といえば川上が背番号「16」のまま監督に就任し、いきなりリーグ優勝を決めた年。家族も親戚中も“神様”の訪問に感激。安藤の巨人入りは確定したかに見えた。ところが-。

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