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【夕焼けエッセー】息づく神話

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【夕焼けエッセー】
息づく神話

 毎朝すっぴんでバスに乗り込むなり一から化粧を始める女子がいる。持ち物から察するに美容専門学校の生徒らしい。「美を学ぶなら美しいマナーも身につければ?」と苦々しくその様子を眺めていたある日。

 彼女が化粧で汚れた指を座席になすりつけるのを見た。たまたまかもしれないとこの日は見逃した。が、続く日も同じ。彼女は常習犯だった。

 迷いに迷ったが、ここで大人が見て見ないふりをしてはいけないと意を決して声をかけた。「お姉さん、座席は皆が使うものだから汚さないでね」。彼女は無言でギリリと私をにらみつけ、ぷいっと横を向いてバスを降りて行った。

 「気をつけます」の一言を期待していたので頭にきた。どうやって彼女を懲らしめるか、かっかしながら一日中考えた。バス会社に通報してやる。いや、器物損壊罪ですよと冷たく脅す方がこたえるかも…。

 策が出尽くした時、ふいに数日前に聴いた神話研究者の言葉がよみがえった。「日本の神様は、争い事が起きても真っ向から対立せずに一方が退く。それが日本人の知恵」。そうだ、こんな時こそ神話にならって素敵な大人の姿を示さなければ。はっとして思い直した。

 翌朝、「昨日はごめんね。突然あんなこと言ってびっくりしたでしょう。気をつけて行ってらっしゃい」と彼女に謝った。

 ほっとして駅に向かっていると肩を叩く人がいる。振り向くとはにかみながらぺこりと頭を下げている彼女がいた。「こちらこそすみませんでした」。小走りに去る後ろ姿を見送りながら、彼女の中にも同じ神話が息づいていたことを幸せに思った。

 内田志保(49)会社員 大阪府四條畷市

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