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【田淵幸一物語(17)】小津社長でなければ西武トレードはなかった?

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【田淵幸一物語(17)】
小津社長でなければ西武トレードはなかった?

ブレイザー新監督(右)を横に記者会見する小津球団社長。右手はやはりズボンのポケットに=1979(昭和54)年10月撮影 ブレイザー新監督(右)を横に記者会見する小津球団社長。右手はやはりズボンのポケットに=1979(昭和54)年10月撮影

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 球団史上初の「最下位」。引責辞任した長田陸夫に代わって昭和53年10月11日、球団社長の座に就いたのが小津正次郎であった。

 「もし、社長が小津さんでなかったら?」「田淵の西武トレードはなかった」と今でも語り継がれている。

 大正4年1月29日生まれ、当時63歳。電鉄本社専務の肩書のまま球団社長となっただけに怖いものなし。いつもズボンのポケットに手を入れ、肩で風を切り颯爽(さっそう)と歩いていた。トラ番記者たちが付けた愛称は「ブルドーザー社長」。昭和47年に内閣総理大臣に就任し「日本列島改造論」をぶち上げ「コンピューター付きブルドーザー」といわれた田中角栄首相のイメージから付けられたニックネームだ。

ドン・ブレイザー監督の構想外に 

 三重県の旧制津中学から高松高商(現在の香川大)へ入学。高商時代は野球部に所属し、内野手として高専大会で甲子園の土を踏んでいる。阪神電鉄入社早々の昭和11年、当時誕生したばかりの「タイガース」で三塁手として練習を手伝ったこともある-という異色の球団社長だった。そんな小津が再建策として目指した野球は「守りと機動力を基調にした野球」。そして監督は「球団OBや球団内部、本社サイドからの圧力に屈しない、自分の野球を押し通す頑固な人」。それがドン・ブレイザーであった。

 小津は即座に監督就任の準備に入った。最大の問題はブレイザーの構想に田淵が入っていない-ということだった。「田淵をどこへ移籍させるのか」。球団は超極秘裏に動いていた。ところが、その情報が漏れた。

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