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【田淵幸一物語(9)】江夏の剛球を受けるためお風呂でも鉄アレイ…そして黄金バッテリーが誕生した

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【田淵幸一物語(9)】
江夏の剛球を受けるためお風呂でも鉄アレイ…そして黄金バッテリーが誕生した

入団会見を終え、学生服姿で江夏(左)と握手をかわす田淵 入団会見を終え、学生服姿で江夏(左)と握手をかわす田淵

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 昭和43年12月17日、大阪・梅田の阪神電鉄本社で入団会見を行った田淵はその後、「ホテル阪神」で待つ一人の男と熱い握手を交わした。23年5月15日生まれ。田淵より2歳年下の江夏豊であった。

 「プロ野球では江夏さんが先輩。早く慣れていい“女房”になりたい」と学生服姿の田淵はスーツ姿の江夏の手を取って誓った。

若きエースの剛球

 当時のプロ野球界では年齢よりも、いつ入団したかでその序列が決まった。江夏は41年の第2回ドラフトで大阪学院大学高校から1位指名で入団。1年目に12勝13敗。2年目で25勝12敗。401奪三振のプロ野球記録を作った。2歳年下とはいえ、阪神ではベテランの村山実に代わる“若きエース”であった。

 もちろん江夏が田淵を呼ぶときは呼び捨てにはしない。「ブッちゃん」「ゆたか」の関係は50年近く経った今でも変わっていない。

 「当時から口数の少ない男だったが、その一言、一言がズシンと心に響くんだ」

 1年目の高知・安芸キャンプでのこと。その日も田淵はブルペンに入り各投手の投球を受け続けていた。500球を超えたころ、江夏のタマを受けた。すると-

 「ブッちゃん、受けたときミットが動いとるで。外側に浮いとる」と指摘された。何げない一言。だが、その重みは田淵自身が一番わかっていた。

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