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【田淵幸一物語(4)】新人王の英才教育 弱点は食の細さ…そして事件が

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【田淵幸一物語(4)】
新人王の英才教育 弱点は食の細さ…そして事件が

腹巻き、鉢巻きのおっちゃんたちが一緒にホームイン。田淵はいつも虎ファンのヒーローだった 腹巻き、鉢巻きのおっちゃんたちが一緒にホームイン。田淵はいつも虎ファンのヒーローだった

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 誰もが田淵の「四番」定着は簡単な作業-と思っていた。昭和44年ルーキーイヤーの終盤、10月3日の大洋戦。「捕手で使え!」という本社指令を無視して後藤監督は「三番・一塁」で起用した。「捕手」の重圧から解き放された田淵は打ちまくった。

 その大洋戦で16号ホーマー。11日の巨人戦で17号。12日の大洋戦で18号、そして15、16日の中日との3試合でなんと4ホーマーを放ち、背番号と同じ「22」号本塁打で見事「新人王」を獲得した。

 《打順をひとつ上げるだけやん》翌45年、村山新体制にあって田淵の“英才教育”を受け持ったのはヘッドコーチ藤井勇。昭和11年にプロ野球公式戦の記念すべき第1号ホーマーを放ったことでも知られている。

 (1)バットを構えてから振り切るまで顔が動きすぎる

 (2)バットを振ったときに左膝が左側へ開く  

 (3)全体的に下半身の開きが早い

 これが、藤井コーチから与えられた課題だった。「新人王とはいえ、去年は打てないからといろいろフォームを自分でいじりすぎた。今年は藤井さんの元でじっくりと…」と田淵も心を引き締めてキャンプに臨んだ。

「怖さがない」と酷評の嵐

 ところが、中盤が過ぎても快音が聞こえてこない。紅白戦6試合を行ったが「四番」田淵は15打数3安打1四球4三振。もちろんホームランはなし。それどころかチームメートの外野手から-「振りに迫力がない。打球が飛んできそうな気配もない。球足にスピードがない。第一、少しも怖さがない」と酷評の嵐。

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