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【田淵幸一物語(3)】「4番田淵」に賭けた村山新監督のもう一つの苦悩

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【田淵幸一物語(3)】
「4番田淵」に賭けた村山新監督のもう一つの苦悩

甲子園球場でホームランを放つ田淵の華麗な打撃フォーム 甲子園球場でホームランを放つ田淵の華麗な打撃フォーム

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 セ界初の「四番、捕手・田淵」に賭けた村山実監督。だが彼にはもう一つの大きな苦悩があった。

 西鉄・稲尾、南海・野村そして阪神・村山と期を同じくして誕生した「30代青年監督」だったが、実は村山監督だけが球団の第一候補ではなかったのだ。

 昭和44年10月、阪神はシーズン途中であるにもかかわらず「田淵を捕手で使え!」という本社指令を無視して「三番、一塁」で使い続けていた後藤次男監督の“解任”を決定。怒りの野田誠三オーナーは13日、大阪・梅田の電鉄本社で「全日程終了を待って、次期監督として鶴岡一人氏(元南海監督、NHK解説者)の招聘に全力を挙げることにしました」と宣言した。

「何が何でも鶴岡監督だ」

 《性懲りもなくまた鶴岡さんかいな》当時のトラ番記者たちはみなそう思ったという。ちょうど1年前の43年10月、阪神は藤本定義監督の後任として鶴岡に白羽の矢を立てた。ところが、彼にはまったく阪神入りの気持ちはなかった。鶴岡は本社の上層部がなにかにつけてすぐに現場に口出しする阪神の体質を一番嫌っていたからだ。だが、そんな情報すら知らされていない野田オーナーは-

 「鶴岡氏以外に阪神にふさわしい人物がいるかね? 何が何でも鶴岡監督だ。第2候補なんていない。あきらめたらアカン」と押した。それだけに11月13日、鶴岡がNHKと解説者として契約を交わしたニュースを聞かされたときには「NHKと…。知らなかった。初耳だ」とガックリと肩を落とした。

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