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【田淵幸一物語(2)】セ・リーグ初の4番捕手 「村山阪神」ほしかった!?明るい話題

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【田淵幸一物語(2)】
セ・リーグ初の4番捕手 「村山阪神」ほしかった!?明るい話題

球友決裂。昭和44年10月、阪神・村山実新監督(右)のコーチ就任要請を断った上田利治氏 球友決裂。昭和44年10月、阪神・村山実新監督(右)のコーチ就任要請を断った上田利治氏

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 トレードで出た選手にその資格はない-。村山実が田淵幸一を『ミスタータイガース』から外したのは単に「生え抜きでない」という理由からだけだろうか。

 「村山監督の2年間、大きな期待をかけられたのにそれに応えることが出来なかったからね。ボクへの印象が悪かったんだと思う」

後年、田淵はこう回想した。

 昭和44年11月14日、阪神は辞任した後藤次男の後任監督として32歳の村山投手兼任コーチの昇格を発表した。「ニュー・アンド・フレッシュ」のキャッチフレーズを掲げた現役監督の誕生である。

盟友・上田利治にコーチ就任断られる

 実はこの年、プロ野球界は大きな変革期に当たっていた。阪神より一足早く、11月4日に西鉄ライオンズが稲尾和久(32)の監督就任を発表すれば、翌5日には南海ホークスも野村克也(34)の監督就任を発表。こちらは戦後初の「捕手の現役監督」だった。一気に誕生した“30代監督”。人一倍ライバル心の強い村山だけに負けるわけにはいかなかった。

 村山はすぐさま関西大学時代からの盟友であり現役を引退したばかりの上田利治(広島)に「ヘッドコーチとして助けてくれ」と声を掛けた。

 「ワシが直接会って事情を話せばきっと分かってくれる。大学時代3年間もバッテリーを組んだ仲や。熱意で説得してみせる」と“友情”に懸けた。だが、その見通しは甘かった。

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