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【田淵幸一物語(1)】「田淵はミスターTではない」と断言した村山監督

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【田淵幸一物語(1)】
「田淵はミスターTではない」と断言した村山監督

甲子園球場でホームランを放つ田淵の華麗な打撃フォーム 甲子園球場でホームランを放つ田淵の華麗な打撃フォーム

 快音を発して夜空に舞い上がった打球が大きな放物線を描いて、甲子園球場の左翼スタンド上段に飛び込んだ。

 軽いスイング、回転だけでピンポン玉のように打球を飛ばす。長い滞空時間。ポーンとバットを投げる華麗な打撃フォーム。その放物線の美しさにいつしか人は「ホームランアーチスト」と呼んだ。

 田淵幸一、昭和43年のドラフト会議で法政大学から1位指名で阪神に入団した身長184センチ、体重80キロのひょろ長の天才打者は、あっという間に猛虎ファンの心を掴んだ。それまで「11」や「23」を付けていた少年たちがみな「22」の背番号に変え、捕手を目指す子供たちも「22」に付け替えた。

 それから半世紀近く経ったいまでも虎ファンの誰もが彼のことを『ミスター・タイガース』と呼ぶ。ところが、そんな田淵も長い間、阪神球団やOB会からも『ミスターT』とは認められていなかったのである。

 昭和62年、吉田義男に代わって村山実が阪神の監督に就任した。10月16日、大阪・梅田の「ホテル阪神」で就任発表を終えた村山監督はホテルの一室に掛布雅之を呼んでいた。“晴れの日”の演出として掛布に「ミスタータイガース3代目」の就任を命じたのである。

 《初代藤村富美男、2代目田淵幸一、3代目が掛布やな》当然のように我々トラ番記者たちは3人の顔を思い浮かべた。すると-

2代目は田淵やない、ワシや

 「お前らは大きな間違いをしとる」と村山監督が言い出した。「初代は藤村さんでええが、2代目は田淵やない」というのである。

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