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【関西の議論】あす散る命、再会の母に言えず…沖縄沖の海に消えた「徳島白菊特攻隊」、壮絶な歴史を浪曲で語り継ぐ

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【関西の議論】
あす散る命、再会の母に言えず…沖縄沖の海に消えた「徳島白菊特攻隊」、壮絶な歴史を浪曲で語り継ぐ

旧海軍基地で訓練していた頃の田尻正人さん 旧海軍基地で訓練していた頃の田尻正人さん

 太平洋戦争末期に旧海軍航空基地(徳島県松茂町)に編成された「徳島白菊特攻隊」の史実を知ってほしいと、徳島市出身の浪曲師、四代目天光軒(てんこうけん)満月さん(67)=大阪市住吉区=が浪曲CD「桜の下でまた会おう『徳島白菊特攻隊』」を作った。登場人物のモデルとなった元白菊特攻隊員の田尻正人さん(93)=徳島市=は「一人でも多くの人が特攻隊のことを知っていただければ、あの世の英霊も喜んでくれるはず」と話している。(井上亨)

練習機で夜間攻撃

 昭和20年2月の辞令で田尻さんが転属した旧海軍航空基地の航空隊はもともと風向きや方位を計測し、航路を誘導する偵察員を養成する訓練部隊だった。が、次第に戦況が悪化し、特攻隊を編成することになり、各地の航空隊や中国・上海の実戦部隊などから次々と操縦員が集められ、田尻さんもその1人だった。

 当時、基地で使用していた練習機「白菊」は離陸しても車輪は引っ込まず、最高速度は零戦の半分以下の230キロ程度。戦闘機としての機能は十分でなかったが、実戦で使える飛行機が不足したため、特攻機に駆り出された。

 この「白菊」の両翼に250キロ爆弾を1つずつ取り付け、隊員らは沖縄沖の米軍艦隊目がけて体当たりすることが任務とされたが、「白菊」は速度が遅いため敵に見つからないように夜間の攻撃が計画され、その訓練に明け暮れたという。

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