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【正木利和のスポカル】抱一の弟子、鈴木其一はほんとうに琳派だったのか

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【正木利和のスポカル】
抱一の弟子、鈴木其一はほんとうに琳派だったのか

河合寸翁像 姫路市立城郭研究室蔵 河合寸翁像 姫路市立城郭研究室蔵

 昨年、誕生400年として京都などで周年ブームを巻き起こした「琳派」は、その様式がまるで日本人の文化の遺伝子に組み込まれているかのように、1年たっても余熱がさめることはない。

 東京のサントリー美術館で11万人を集めた「鈴木其一(きいつ) 江戸琳派の旗手」展がいま、兵庫県の姫路市立美術館で開催されている(12月25日まで https://www.city.himeji.lg.jp/art/)。

▼姫路市立美術館(外部サイト)

 江戸時代後期の琳派の画家として知られる鈴木其一(1796~1858年)は、江戸琳派の始祖、酒井抱一(1761~1829年)の弟子である。

 琳派というのは桃山から江戸初期の本阿弥光悦(1558~1637年)と俵屋宗達(生没年不詳)に始まる造形芸術の流派で、大和絵を基盤にすぐれた装飾性、デザイン性をもつ絵画、書、工芸からなっている。

 この京都で始まった2人の芸術を100年の時を経てよみがえらせたのが尾形光琳(1658~1716年)であり、さらに100年後、光琳の芸術に私淑するかたちで、その系譜を江戸で引き継いだのが抱一だった。其一はその直弟子にあたる人物だ。

 今回の展示が東京に続いて姫路で開催されるには理由がある。それは、抱一が姫路城主である名門酒井家の次男の生まれだからである。いわば、姫路も琳派ゆかりの地といっていい。

 さて、其一、実は出自がよくわかっていない。

 これまで根強かった染職人の子だったという説のほかに、武家ではないかという説も出てきている。

 いずれにしても「江戸琳派」という一派を立てた抱一には、武家出身の腕のよい弟子がいたということは明らかになっている。その人物が狂犬病にかかって突然、亡くなり、家を継ぐ者がいないということで、白羽の矢を立てられたのが入門4年目の其一だったということだ。

 その後、16年、抱一が死ぬまで彼は筆頭弟子であり続けた。ときには、抱一の代筆もやったらしい。それをもってしても、当時の其一の評価がわかる。

 「抱一譲りといわれる其一ですが、実は彼は師匠の抱一が亡くなってからその個性を表し始めます」と姫路市立美術館学芸課の高瀬晴之学芸課長補佐はいう。

 なるほど、其一の画題は琳派お約束のものが確かに多い。たとえば、宗達-光悦-抱一が題材とした「風神雷神」の屏風(びょうぶ)絵。それを、彼は襖に描いた。しかし、琳派の先達が力強く表現した二神を、彼はあえて絹地に水墨をにじませることで、淡く、みやびやかに描き出したのだった。

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