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【石野伸子の読み直し浪花女】須賀敦子の終わらない旅(8)「追憶のエッセー」文体へ試行錯誤の一直線 会話を冗舌なほど再現

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【石野伸子の読み直し浪花女】
須賀敦子の終わらない旅(8)「追憶のエッセー」文体へ試行錯誤の一直線 会話を冗舌なほど再現

没後18年たっても刊行が続く須賀敦子さんの関連書籍 没後18年たっても刊行が続く須賀敦子さんの関連書籍

 日本に帰国した須賀敦子はカトリックの社会支援活動、エマウス運動に熱中したが4年後にこの活動から身を引く。

 その間の事情について本人は何も書き残していないが、没後、多くの本が書かれる中で事情が徐々に明らかにされている。

 「須賀敦子を読む」の湯川豊氏、「須賀敦子の方へ」の松山巌氏ともに当時の関係者にインタビューを試みている。両者が一致して述べているのは、エマウスの運営担当者らと間に多少の意見の違いはあったかもしれないが、須賀の生活の中で文学と学者の仕事に比重が傾いていったことが、運動から身を引く原因になったと推測している。

 実際、エマウス運動に熱中していたかたわら、慶応大学国際センター、上智大学国際部比較文化学科講師として学生を指導し、また周囲の勧めで博士論文に取り組み始め、研究者としても道も歩み始めている。翻訳家、イタリア文学研究者、教師、そして文学者。須賀の前にはいろんな道が開けていた。とりわけ重要だったのが文学だ。

 小さいころから「書く人になりたい」とあこがれ、帰国前の日記(全集第7巻所収)には「外国語を忘れ自分で書くことが私に与えられた道のように思われる」と書き付けているのだから。

 須賀敦子は試行錯誤の人だ。こう、と思ったら一直線に進むが、これは違うとなると勇気をもって引き返す。

 まさに「まちがえた場所に穴を掘ってそのことの危険に気づかないウサギみたいに全力をそそぎ、その仕事も数多い私の試行錯誤のひとつと知った」。そして「あの精力と、当時、じぶんが愛情と信じていたものとを文章に書くことに用いていたら。そう考えることが、稀ではあっても、たしかにある」と「皇帝へのあとを追って」(「ユルスナールの靴」所収)に書いたように。

 しかし、書く人になるには、まだ「時間は満ちていなかった」。

 須賀にとって、エマウス運動に割く時間がなくなったというより、自分の文章を書くにはまだ「自分の文体」を体得していない時期だったといえる。

 イタリア文学研究者で元大阪芸術大学教授の武谷なおみさん(68)は、当時を知る数少ない友人だが、須賀敦子が文章を書き始めるまで時間がかかったのは、「自身の文体を探るのに時間がかかったから」とみる。

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