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【石野伸子の読み直し浪花女】須賀敦子の終わらない旅(4)刑務所の同僚が大統領に…イタリアの友の手紙、コルシア書店

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【石野伸子の読み直し浪花女】
須賀敦子の終わらない旅(4)刑務所の同僚が大統領に…イタリアの友の手紙、コルシア書店

昭和36年、ミラノのコルシア書店で。須賀敦子の人生が輝き始める(河出書房新社提供) 昭和36年、ミラノのコルシア書店で。須賀敦子の人生が輝き始める(河出書房新社提供)

 昭和30(1955)年7月。26歳になった須賀敦子はパリ留学から帰国した。NHK国際局の嘱託としてフランス語の通訳などの仕事をした後、3年後再びローマに留学する。

 前回のパリと違い、今回本人には確かな思いがあった。イタリアではきっと何かを得られる。

 フランスからイタリアへの転身には、一人のイタリア人女性の存在がある。マリア・ボットーニ。須賀が初めてヨーロッパの地を踏んだとき、ジェノワ港に迎えてくれ、須賀をパリに向かう列車の駅まで見送ってくれた女性だ。

 本来、共通の知り合いを通じて依頼を受け、短時間世話をしたというだけの関係に終わる人であっただろうが、この20歳以上年の離れたイタリア人女性は、その後の敦子の人生に深く関わってくる。

 須賀の初めての著書「ミラノ霧の風景」に、「マリア・ボットーニの長い旅」と題して、彼女が登場する。

 マリアはジェノワで見送った若い日本人女性のところに頻繁に便りをくれた。それはたわいのないものだったが葉書(はがき)にびっしりと書き込み、須賀にとってはヨーロッパ人で便りをくれる唯一の人であった。

 「大学の講義やそれに関連する読書を通じて、私は少しずつイタリアの言葉と文化にひかれはじめた。マリアのこまかい字の葉書が、その気持ちをはぐくむのに一役買っていたのはたしかである」(「マリア・ボットーニの長い旅」)

 パリ大学で第二外国語の選択を迫られイタリア語を勉強したいと相談したとき、マリアはすぐさま夏休みを利用してペルージャの外国語大学に学ぶなら、ペルージャに友人がいるから紹介しよう、とイタリア行きの背中を押してくれたのだ。

 「私のペルージャ留学はマリアのおかげで実現したので、彼女がいなかったら、私はスペインに行っていたかもしれないし、私の生涯がイタリアとこんなに濃くつながることは、たぶんなかっただろう」と先のエッセーに書いている。

 ペルージャでの生活は、須賀に新たな希望を与えてくれた。パリからいったん帰国することにはなったが、イタリアへの傾斜は強まった。帰国後も、マリアはせっせと手紙を送ってくれたが、その手紙の中に当時イタリアでカトリック左派と呼ばれるグループが出していた小さな出版物が入っていた。須賀はその存在に強くひかれた。後に須賀の人生を決定づける「コルシカ書店」の会報誌だ。

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