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【石野伸子の読み直し浪花女】須賀敦子の終わらない旅(3)24歳でヨーロッパの地、新聞見出し「〝女教授〟の夢も乗せて」!?

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【石野伸子の読み直し浪花女】
須賀敦子の終わらない旅(3)24歳でヨーロッパの地、新聞見出し「〝女教授〟の夢も乗せて」!?

須賀敦子のデビュー作「ミラノ霧の風景」。白水Uブックスで版を重ねている 須賀敦子のデビュー作「ミラノ霧の風景」。白水Uブックスで版を重ねている

 終戦を夙川で迎えた後、10月には聖心女子学院高等専門学校英文科に入学すべく東京に戻った。両親は疎開をつづける形で関西に残ったから、16歳の須賀は焼け残った校舎での寄宿生活を送った。昭和23(1948)年には新設された聖心女子大学外国語学部英語・英文科に編入。第一期生の同期生には緒方貞子、渡辺和子がいる。国連難民高等弁務官としてグローバルな活動をした緒方。長く岡山のノートルダム清心女子大学の学長をつとめ「置かれた場所で咲きなさい」がベストセラーとなった渡辺。聖心女子大学の高い教育理念が実感される。

 親元離れた寄宿生活は厳しいものだったようだ。公用語は英語。「中世以来のヨーロッパの修道院学校の伝統と、ヴィクトリア朝ふうの貴族的ストイシズムが奇妙にまざりあった風変わりなものだった」(「寄宿学校」)と書いている。しかし、この寄宿生活を送っていた18歳のとき、自らの意思で洗礼を受けている。修道女の道を選らんだ友人もいる。

 須賀敦子は自分の歩んだ道のりや心境をストレートに書くことを好まない作家だが、当時の心境はいくつかのエッセーにちらほらのぞく。

 例えば、パリ留学時代を描いた「カティアが歩いた道」(「ヴェネツィアの宿」所収)。

 「ヨーロッパに来たのは、文学の勉強をするためだけではないはずだった。戦後の混乱のなかで両親の反対をおして選びとったキリスト教を、自分のこれからの人生になかでどのように位置づけるのか、また、ヨーロッパの女性が社会とどのようにかかわって生きるのか、学問意外にも知りたいことは山のようにあった」

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