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【石野伸子の読み直し浪花女】須賀敦子の終わらない旅(3)24歳でヨーロッパの地、新聞見出し「〝女教授〟の夢も乗せて」!?

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【石野伸子の読み直し浪花女】
須賀敦子の終わらない旅(3)24歳でヨーロッパの地、新聞見出し「〝女教授〟の夢も乗せて」!?

須賀敦子のデビュー作「ミラノ霧の風景」。白水Uブックスで版を重ねている 須賀敦子のデビュー作「ミラノ霧の風景」。白水Uブックスで版を重ねている

 須賀敦子が初めてヨーロッパの地を踏んだのは昭和28年。敦子24歳の夏。パリ大学(ソルボンヌ)に留学するためで、神戸港から日本郵船の貨物船平安丸に乗り込み、40日がかりの海の旅をへてイタリア北西部の港町ジェノワに上陸。陸路パリ向かうという旅程だった。

 当時海外留学する女性は珍しく、神戸港を出港するときは地元神戸新聞のインタビューを受けている。「ますます盛ん先生方の留学熱」という小見出しのついた記事が残っている。同船した3人の大学教授らとともに顔写真つきで取り上げられ、「“女教授”の夢も乗せて」という見出しがメーン。「英文学がどんな影響をフランス文学に与えているかという難しい比較文学が研究問題」という言葉も紹介されている。

 果たして本人は「女教授の夢」を抱いていたものかどうか。のちのち、60歳で上智大学比較文化学部教授になっているから、結果として大学教授にはなったのだが。「女教授」という言葉が時代がかっている。

 昭和28年。まだ海外が本当に遠かった時代になぜパリ留学だったのか。

 それはまず、須賀敦子が受けてきた教育とかかわりがある。

 敦子は6歳まで兵庫県芦屋市、続いて新築なった夙川(西宮市)の家で育ったが、当時、阪神間に多かったミッションスクールのひとつ兵庫県宝塚市にある小林聖心学院に入学した。その後、8歳で父親の勤務で東京暮らしになったときも、戦火激しくなり夙川の実家に帰ったときも一貫して姉妹校である聖心で学んだ。

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