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【神武・海道東征 第12部】偉業を支えた脇役たち(1)槁根津日子(さをねつひこ) 大和への海路 水先案内の大役

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【神武・海道東征 第12部】
偉業を支えた脇役たち(1)槁根津日子(さをねつひこ) 大和への海路 水先案内の大役

保久良神社にある椎根津彦(槁根津日子)の像。古事記が書く姿をしている=神戸市東灘区(恵守乾撮影) 保久良神社にある椎根津彦(槁根津日子)の像。古事記が書く姿をしている=神戸市東灘区(恵守乾撮影)

 裏書きはさらに、家祖が海に浮かんでいた蛭児(ひるこ)神(えびす神)を廣田西宮三良殿(現・西宮神社)に祭り、家祖自身が奥夷(おくえびす)社に祭られていることも伝えている。

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 奥夷社の鎮座地と推測されるのは、西宮神社から西へ5キロ、金鳥山(きんちょうざん)中腹の保久良(ほくら)神社(神戸市東灘区)。標高180メートルの境内からは大阪湾が一望できる。境内に近接する金鳥山遺跡は弥生時代中期後半の高地性集落。この時代の高地性集落は瀬戸内海一円で、海を見下ろす場所に点々と見つかっている。

 「海路で結ばれた地域共同体の情報伝達システムと考えられます。弥生時代の航行者にとってはランドマークでもあった」

 愛媛大の柴田昌児准教授はそう話す。金鳥山遺跡から高地性集落をたどって海路を西へ向かうと、芸予諸島で北九州に向かう北ルートと、愛媛県への南ルートに分かれる。南ルートの先に豊予海峡がある。

 高地性集落の研究を踏まえ、田中名誉教授は「豊予海峡で出会ったのは椎根津彦の分派だった可能性が出てきた」と話す。東征後、槁根津日子は倭(やまと)の国造(くにのみやつこ)という重い地位を与えられた、と記紀は書く。瀬戸内海全域で功績を挙げたことが、ここからもうかがえる。

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【用語解説】弥生の瀬戸内航路

 弥生時代、瀬戸内海沿岸を中心とする高台に一時的に出現する高地性集落は、同時代の瀬戸内航路を考える手がかりになる。3回の出現ピークがあり、第1次は弥生中期後半(紀元前1~後1世紀)ごろ。中国、朝鮮からの鏡や鉄素材が運ばれたルートと推定される。

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