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【神武・海道東征 第12部】偉業を支えた脇役たち(1)槁根津日子(さをねつひこ) 大和への海路 水先案内の大役

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【神武・海道東征 第12部】
偉業を支えた脇役たち(1)槁根津日子(さをねつひこ) 大和への海路 水先案内の大役

保久良神社にある椎根津彦(槁根津日子)の像。古事記が書く姿をしている=神戸市東灘区(恵守乾撮影) 保久良神社にある椎根津彦(槁根津日子)の像。古事記が書く姿をしている=神戸市東灘区(恵守乾撮影)

 日向から大和に至る16年(日本書紀では6年)。カムヤマトイハレビコノミコト(神武天皇)の東征は、多くの脇役に支えられた。東征の大半は海路だった。そこで水先案内の大役を果たしたのが槁根津日子(さをねつひこ)(書紀では椎(しい)根津彦)である。

 〈亀の甲に乗り、釣り為(し)つつ打ち羽挙(はふ)き来る人、速吸門(はやすひのと)に遇(あ)ふ〉(古事記)

 〈速吸之門(はやすひなと)に至ります。時に、一(ひとり)の漁人(あま)有り、艇(をぶね)に乗りて至る〉(日本書紀)

 イハレビコとの出会いを記紀はこう書く。古事記での場所は、淡路島と神戸市垂水区にはさまれた明石海峡。書紀の場所は大分・佐賀関と愛媛・佐田岬が向かい合う豊予(ほうよ)海峡。ともに潮の速い難所だが、古事記に従えば、槁根津日子は大阪湾からの臣下、書紀によれば、瀬戸内海全体を案内した功臣になる。

 果たして、どちらが正しいか。『古事記伝』を書いた江戸時代の国学者、本居宣長は、豊後国に早吸日女(はやすひめ)神社が古くから鎮座する一方、明石海峡の周辺に「速吸」の地名がないとして、こう推断した。

 〈書紀の傳(つたへ)ぞ正しかるべき〉

     ◇

 〈椎根津彦の根拠地は西宮付近であり、淡路島以東の大阪湾を支配する海部の首長にほかならない〉

 昭和31年の論文でこう書き、宣長説と対立したのは皇学館大の田中卓(たかし)名誉教授である。根拠は、祭祀氏族の祖を椎根津彦とする大倭(おおやまと)神社(現・大和(おおやまと)神社=奈良県天理市)の「大倭神社註進状」裏書きで、こう書かれていることだ。

 〈伝聞、我祖椎根津彦命、遊行在難波、以釣魚為楽〉

 槁根津日子の子孫たちは、家祖が難波の海(大阪湾)を遊行し、釣りを楽しんでいたと伝承しているのである。

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