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【戦後71年 楠木正成考<第4部>】倒幕(5)「公」を忘れた日本人へ 尊氏の翻心生んだ籠城戦

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【戦後71年 楠木正成考<第4部>】
倒幕(5)「公」を忘れた日本人へ 尊氏の翻心生んだ籠城戦

六波羅探題址に立つ石碑。六波羅は正成が奮闘する間に攻め滅ぼされた=京都市東山区の六波羅蜜寺(恵守乾撮影) 六波羅探題址に立つ石碑。六波羅は正成が奮闘する間に攻め滅ぼされた=京都市東山区の六波羅蜜寺(恵守乾撮影)

 「ここは当時、足利氏の飛び領でした。高氏は29日には、願文を奉納して決意を表明します。事をなすにはやはり、この地でなければならなかったのでしょう」

 篠村八幡宮(同市)の大橋通夫宮司はそう話す。同宮には「敬って白(まお)す 立願の事」で始まる有名な「足利高氏願文」(亀岡市文化財)が残されている。

 八幡神は源氏の氏神で、弓矢・武道の神だ。高氏は「勅命にしたがい義兵を挙ぐる所なり」と高らかに宣言し、六波羅をめざした。

 <五月七日、六波羅を陥(おちい)つ>

 <五月九日、北条仲時以下、近江番場にて自刃す>

 『大楠公』は、高氏の翻意からわずか8日で六波羅が陥落し、10日で探題職にあった北条一族が自害に追い込まれたことを記す。仲時らが自刃した翌日には、千早城の幕府軍は囲みを解き、奈良に敗走した。その日の千早城内の様子を『太平記』はこう書く。

 <城中悦び勇みて、ただ籠の中の鳥の、出でて林に遊ぶが如く悦び>

 正成が籠城戦に勝利してから11日後、新田義貞が鎌倉を落とし、幕府を束ねていた北条高時は自害。ついに鎌倉幕府は滅びた。

 「高氏が叛意したという事実が大きかった。その後の昇進や恩賞がめざましかったことからも(高氏への評価は)明らかです」

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