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【戦後71年 楠木正成考<第4部>】倒幕(3)「公」を忘れた日本人へ 幕府に対する「決死の心火」

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【戦後71年 楠木正成考<第4部>】
倒幕(3)「公」を忘れた日本人へ 幕府に対する「決死の心火」

大阪府富田林市内から眺める上赤坂城跡(中央手前、恵守乾撮影) 大阪府富田林市内から眺める上赤坂城跡(中央手前、恵守乾撮影)

 しかし、上赤坂城は水を断たれて開城した。助命を約束されていた将監は、京に送られ、282人の兵とともに斬首され、六条河原に首をさらされた。

 その報に接したときの正成たちの思いを、作家の故大谷晃一氏は『楠木正成』でこう書いている。

 〈彼らの中に、決死の心火が燃えた〉

 信の置けない幕府の姿を目の当たりにし、吉野や千早の兵で降伏しようと思う者はいなくなったというのである。

 上赤坂城跡は昭和9年、国史跡「楠木城跡」に指定された。当時の千早村と赤阪村が大阪府へ指定願を出したのは同年1月25日、府が国に申請したのは2月19日、指定されたのが3月13日。わずか2カ月足らずという異例の速さは、正成らの奮戦で倒幕がなり、天皇親政が復活した建武元(1334)年から600年後の昭和9年3月13日、「建武中興六百年記念の日」に間に合わせるためだった。

 「当時の地元の盛り上がりは大変なものだったでしょう。史跡の碑があることで、楠公さんの業績を後世に伝えていかなければならない気持ちになります」

 千早赤阪村立郷土資料館の山本正夫館長はそう話す。

=次回(4)は18日に掲載

【用語解説】上赤坂城跡 金剛山の尾根の突端に築かれた中世山城跡。西側の主郭(本丸)、東側の第2郭(二の丸)から成り、標高は主郭で349メートル、第2郭で340メートル。主郭の周囲や第2郭から北西方向に曲輪(くるわ)と呼ばれる平坦(へいたん)地が22カ所ある。

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