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【戦後71年 楠木正成考<第4部>】倒幕(1)「公」を忘れた日本人へ 親王の「命令」背に再び挙兵

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【戦後71年 楠木正成考<第4部>】
倒幕(1)「公」を忘れた日本人へ 親王の「命令」背に再び挙兵

千年以上の歴史を持つ天野山金剛寺。挙兵にあたって正成が頼りにした=大阪府河内長野市(恵守乾撮影) 千年以上の歴史を持つ天野山金剛寺。挙兵にあたって正成が頼りにした=大阪府河内長野市(恵守乾撮影)

 「鎌倉幕府の世をどうにかしなければ、という考えで正成と後醍醐天皇は同じ方向を向いていた。金剛寺と関係を深め、守ることは正成にとって(後醍醐天皇を守ることにつながり)一本筋の通った話です」

 同寺の堀智真座主(ざす)はそう語る。同寺に祈祷と協力を依頼する文書には重要な要素が含まれていた。現代文風にすると、こんな内容である。

 〈このことに関しては大塔宮(護良親王)からの令旨が下されているはずである〉

 尾谷氏はこの文言に、平安時代の前例を想起する。後白河天皇の皇子・以仁王(もちひとおう)が全国の源氏に、平氏打倒の挙兵を促す令旨を出したことで、反平家の機運が高まった史実である。正成の時代は、平氏に代わって鎌倉幕府ができてまだ、約140年しかたっていない。

 「当時でも、皇族の発した命令は大きな効果を持っていたはずです」

     ◇

 正成らの挙兵に対して、幕府執権職だった北条高時が畿内の軍兵を召集したのは元弘2年11月。挙兵から2カ月もたっていた。

 正成は、下赤坂城を退くにあたって、自分らしい死体を用意して城を焼いた。戦勝した幕府軍からはこんな声が出た、と『太平記』は記している。

 〈「あなあはれや。正成早や自害をしけり。敵ながら、弓矢取って尋常に死にたるものかな」と、誉(ほ)めぬ人こそなかりけれ〉

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