産経WEST

【戦後71年 楠木正成考<第4部>】倒幕(1)「公」を忘れた日本人へ 親王の「命令」背に再び挙兵

産経WEST 産経WEST

記事詳細

更新

【戦後71年 楠木正成考<第4部>】
倒幕(1)「公」を忘れた日本人へ 親王の「命令」背に再び挙兵

千年以上の歴史を持つ天野山金剛寺。挙兵にあたって正成が頼りにした=大阪府河内長野市(恵守乾撮影) 千年以上の歴史を持つ天野山金剛寺。挙兵にあたって正成が頼りにした=大阪府河内長野市(恵守乾撮影)

 <九月、大塔宮(おおとうみや)吉野愛染宝塔に拠り、大楠公金剛山に拠る>

 楠木正成を祭る湊川神社(神戸市)発行の『大楠公』は、元弘2(1332)年のこととして、こう書く。

 鎌倉幕府の大軍の前に、笠置山で後醍醐天皇が敗れ、下赤坂城で正成が敗走してから約11カ月。天皇の皇子である護良(もりよし)親王と正成が再び、倒幕の兵を挙げたのである。

 金剛山の峻厳を頼んで挙兵した正成がもう一つ、頼りにしたのが天野山(あまのさん)金剛寺(大阪府河内長野市)だ。真言宗御室(おむろ)派大本山で、正成が度々、文書を送ったことが、金剛寺文書や『大楠公』に書かれている。

 〈大楠公、金剛寺三綱の祈祷巻数(きとうかんず)を贈ったのを答謝する〉

 〈大楠公、金剛寺衆徒に牒(ちょう)し、幕府軍の侵入に備えしめ、かつ祈祷を嘱する〉

 巻数とはお札のこと。正成が同寺に、戦勝祈願を何度も依頼し、衆徒の軍事力に期待をかけていたことがわかる。

 「正成が勝つためには、経済力や軍事力、情報源を持つ金剛寺を味方につけることが必要だったのです」

 河内長野市立図書館地域文化遺産啓発専門員の尾谷雅彦氏はそう話す。

     ◇

 金剛寺側にも正成と協力する理由があった。後醍醐天皇が当時の皇族としては珍しく、真言密教を信仰していたからである。

続きを読む

関連ニュース

【戦後71年 楠木正成考<第4部>】倒幕(2)「公」を忘れた日本人へ 鮮やか速攻 幕府軍を翻弄

「産経WEST」のランキング