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【戦後71年 楠木正成考<第3部>】挙兵前夜(4)「公」を忘れた日本人へ 倒幕志し入山の天皇に呼応

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【戦後71年 楠木正成考<第3部>】
挙兵前夜(4)「公」を忘れた日本人へ 倒幕志し入山の天皇に呼応

元弘の乱の緒戦が行われた笠置山=京都府笠置町(恵守乾撮影) 元弘の乱の緒戦が行われた笠置山=京都府笠置町(恵守乾撮影)

▼(3)「われを先ず殺せや」まさに良妻賢母…から続く

 畿内に武名を轟(とどろ)かせ、妻帯もした楠木正成が、倒幕を志して山城・笠置山(かさぎやま)(標高288メートル)の笠置寺(京都府笠置町)に行幸した後醍醐天皇に召されたのは、元弘元(1331)年のことだ。湊川神社(神戸市)発行の『大楠公』はその時の様子をこう書く。

 〈九月三日、天皇、急使を以て大楠公を召し給ふ。即日、行在所(あんざいしょ)に参内。幕府軍を平定して大御心を安んぜんことを誓はる〉

 同寺には、後醍醐天皇に拝謁する正成を描いた『笠置寺縁起絵巻』(上中下3巻、室町時代)が伝わっている。

 「正成は笠置で生まれた、というのが父の持論でした。正成は天皇が夢を見たからこそ、この世に出てきた。その場所はこの笠置だったと誇りにしていたのです」

 小林慶範(けいはん)前住職はそう話す。幕府軍が行在所を攻めた笠置山の戦いが描かれた中巻は、他の2巻よりも傷みが激しいという。同寺には戦前、戦中に多くの人が訪れており、小林前住職は「求めに応じてこの巻を披露していたのでしょう」と話す。

   ◇

 〈笠置殿には(中略)事のはじめより頼み思されたりし楠の木兵衛正成といふ物あり〉

 笠置山での正成について、南北朝時代に成立したとされる歴史物語『増鏡(ますかがみ)』はそう記す。『太平記』では後醍醐天皇が入山後、夢で知って召されたとされるが、最初から後醍醐天皇の頼みとする武将だったとしているのだ。

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