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【戦後71年 楠木正成考<第3部>】挙兵前夜(3)「公」を忘れた日本人へ 晩婚の夫支えた母性の鑑(かがみ)

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【戦後71年 楠木正成考<第3部>】
挙兵前夜(3)「公」を忘れた日本人へ 晩婚の夫支えた母性の鑑(かがみ)

四條畷神社の摂社、御妣神社。正行の母、つまりは正成の妻を祭っている=大阪府四條畷市(恵守乾撮影) 四條畷神社の摂社、御妣神社。正行の母、つまりは正成の妻を祭っている=大阪府四條畷市(恵守乾撮影)

 樟蔭学園は「正行の母」の良妻賢母ぶりを具現することを理想に99年前に創立された学校である。近世になると、「正行の母」の美化が進む。代表格は『本朝女鑑』(1661年)だ。

 〈けいさくのたくましき事。世もつてまれなる女性かなと。時の人は申しけるとなり〉

 明治維新後に書かれた『楠公夫人伝』ではこう記されている。

 〈久子八、九歳にして、已に淑質備はり、敏慧にして能く家庭を守り、学文習字より、歌道の奥義に通じ、姿貌嫻麗(しぼうかんれい)にして、礼節に慣(なら)ひ、兼ねて薙刀の稽古より、武技の大要に通習せり〉

 「時代がつくり上げたイメージですが、本来は女性を描くことの少ない太平記がわざわざ紙幅を割いていることに注目したい。正成の遺志を正行につなぐ要として意識されていたということでしょう」

     ◇

 作家の童門冬二氏は著書の『楠木正成』で、正成の妻を河内の豪族、南江正忠の妹、久子とし、正成に代わって配水や物流を仕切る働きぶりを描いている。

 「北条政子と日野富子の間の夫婦異姓の時代で、久子も20歳という晩婚ですから、クールで肝の据わった人だったと思います」

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