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【戦後71年 楠木正成考<第3部>】挙兵前夜(2)「公」を忘れた日本人へ 鳴り響く武名 勢力拡大

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【戦後71年 楠木正成考<第3部>】
挙兵前夜(2)「公」を忘れた日本人へ 鳴り響く武名 勢力拡大

千早赤阪村上空から望む金剛山方向。正成の勢力はここから四隣に及んだ =大阪府千早赤阪村(本社ヘリから、恵守乾撮影) 千早赤阪村上空から望む金剛山方向。正成の勢力はここから四隣に及んだ =大阪府千早赤阪村(本社ヘリから、恵守乾撮影)

 後世に書かれた史料に従えば、楠木氏の勢力は正成の代でさらに摂津、紀伊、大和へと広がったことになる。

 「楠木氏には確かな実力があった。挙兵後、すぐに後醍醐天皇方の中心となったこともそれを表していると思います」

     ◇

 「一天下(いってんか)の間に、暫(しばら)くも御身を隠さるべき所なし。但し、かの木の陰に、南へ向かへる座席あり。これ、御ために設けたる玉●(ぎょくい)にて候へば、暫くここにおはしまし候へ」

     ●=肩の月が衣

 倒幕を決意した後醍醐天皇は、夢に現れた童子にこう告げられたと『太平記』は書く。

 「もしこの辺に、楠と云はるる武士やある」

 天皇の下問に、山城・笠置寺の衆徒は答える。

 「河内国金剛山の麓に、楠多聞兵衛正成とて、弓矢取つて名を得たる者は候ふなれ」

 『太平記』も正成の武名がすでに、近隣に鳴り響いていたことを記している。

 「正成が畿内で高い実力を持っていたことは間違いない。2人の出会いは太平記の書くようなものではなく、倒幕のための戦力を求めていた天皇一派が、正成を引き合わせたのだと思います」

 九州大の森茂暁教授はそう話す。

     ◇

【用語解説】得宗専制と幕府の衰退

 鎌倉幕府では元寇後、北条家嫡流(得宗)の権力独占が進んだ。全国の守護の約半数を独占する中で、他の御家人の不満は高まっていった。

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